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【コラム】巨人・阿部慎之助が爽やかに引退表明 “涙”は日本一を達成してから

 4万6103人の大観衆が集まった東京ドーム。ファンの視線の先には背番号10がいた。9月27日、DeNA戦。巨人の本拠地ラストゲームで行われた引退試合に阿部慎之助はかつての定位置となる「四番・捕手」で先発出場を果たした。

 4年ぶりにスタメンマスクをかぶり、「もう一度受けたい投手」と阿部が口にしていた先発・マシソンを好リード。初回を無失点で切り抜けると、2回は中大の後輩・澤村拓一が中大の校歌が流れる中でマウンドへ。初球、サインに何度も首を振った澤村の下に向かい、手を振り上げるポーズ。2012年日本シリーズでの“ポカリ事件”の再現かと思えば、笑顔で握手を求めて一塁・大城卓三と入れ替わった。捕手としてはお役御免。「涙腺が危なかった」と澤村は言ったが、巨人ファンも同じ思いだったはずだ。

 4回一死の打席では今季7号、通算406号をライトスタンド中段にぶち込んだ。相手投手は当然、全球真っすぐ勝負。「申し訳ないと思いつつ」とは言ったが、力強いバッティングに、いまだ陰りがないことを実証した一打でもあった。

 2001年、逆指名のドラフト1位で巨人に入団した阿部。前年日本一に貢献したベテラン捕手の村田真一がいながら、長嶋茂雄監督は開幕戦からスタメンマスクに抜擢した。当時の原辰徳ヘッドコーチの推薦もあったという。翌02年、サヨナラ打4度、後半は三番にも入って原新監督の下で優勝、日本一に貢献。だが、「バッティングはいいが、リードは問題あり」という声も多かった。阿部は批判を甘んじて受け入れ、結果で見返していった。歴代屈指の強打の捕手に成長、2期目の原監督時代、12年には首位打者、打点王に輝きMVP。チームを日本一に導き、原監督は「今の巨人は慎之助のチーム」と最大限の賛辞を何度も送った。

 途中からはケガとの闘いになる。15年にはこだわりの強かった捕手から一塁にコンバート。成績的にも納得いかないシーズンが続いたが、17年には2000安打を達成。今年3月に40歳を迎えたが、最後まで戦力であり続けた。昨年オフには原監督に電話で直訴して捕手復帰。だが、今季開幕直前に左ふくらはぎ痛で離脱し、「現実的に今のポジション(代打)で必要とされている。そっちに徹しないと」と気持ちを切り替えて臨んだ。

 6月1日の中日戦(東京ドーム)では今季1号を放ち、史上19人目、球団では王貞治、長嶋に次ぐ3人目の400号を達成。その後も勝負強い打撃でチームに貢献し、シーズン中盤からは一塁での先発も急増した。今季は95試合の出場で打率.297、7本塁打、27打点。32四死球で出塁率は.411だ。相手バッテリーへの威圧感はまったく衰えていない。時には試合前にベンチ裏へナインを集め、ゲキを飛ばすこともあった。「優勝を知らない若い選手に経験してもらいたい」と話した願いを、自らの手で実現させた。

 5年ぶりのリーグ優勝から3日後の24日、阿部の引退が一斉に報じられ、翌25日に引退会見。22日のヤクルト戦(神宮)後、原監督と話し合い、「お互いの考えていることが一致した」という。“悔い”や“限界”という定番の言葉はなく、「坂本(勇人)がキャプテンになって初めて優勝できたことで肩の荷が下りた」と柔らかな笑みを浮かべた。

 引退会見でも、引退試合でも涙はなし。そのわけは「本当に大事な勝負が残っている。日本一になってから泣こうかなって思います」。10月9日からはクライマックスシリーズ・ファイナルステージが始まる。“ラストセレモニー”はこれからだ。果たして、最後に阿部の涙を見ることができるだろうか――。

【文責=週刊ベースボール】