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【球跡巡り・第28回】東大寺大仏殿と南大門を望む野球場 奈良春日野球場

 弥生3月。古都・奈良に春を運ぶと言われる、東大寺二月堂の「お水取り」の様子を伝えるニュースを目にしました。奈良時代から連綿と継続され、今年で1269回目を数えるそうです。その東大寺がある一角に春日野園地という芝生が敷かれた公園があり、シカが観光客と遊んでいます。かつてここには南北に長い春日野運動場があり、その中に春日野球場は造られました。

 その歴史は古く、運動場が開場したのは明治時代の1910年。平城遷都1200年を記念して造られました。野球場は3年後の1913年9月、運動場の南側にできました(後年、北側にも造り2面に)。東大寺に隣接し、中堅後方に大仏殿屋根の鴟尾(しび)が金色に輝き、左中間後方には我が国最大の山門となる高さ25.46メートルの南大門がそびえていました。左翼から中堅にかけては松並木もあり、プロ野球開催時に球場の下見に来た二出川延明審判員が「環境においては日本一の球場」と評した言葉も残ります。

 奈良県下で初となるプロ野球公式戦が開催されたのは一リーグ時代の1949年11月7日、阪神対東急18回戦でした。

 この年、阪神の藤村富美男内野手と別当薫外野手は熾烈な本塁打王争いを繰り広げていました。残り11試合となった試合前の時点で、藤村40本塁打、別当39本塁打とわずか1本差。そんな中、貴重な一打を放ったのはリードする藤村でした。6回裏、東急の黒尾重明投手から左中間の松林に消えていく場外アーチは、スコアカードに飛距離「400フィート(122メートル)」と記された特大弾。別当に2本差を付けました。

 藤村は後に「春日野のとき、別当君“ガクン”ときよったですね。それはバッターボックスの構えでもわかりました」と『戦後プロ野球発掘』(恒文社)の中で語っています。その言葉を裏付けるように、別当のバットは翌日から沈黙。25打席連続ノーヒットを記録するなど打率.159と奮わず、本塁打は0。対照的に春日野球場の一打でキングへの手応えをつかんだ藤村は、翌日滋賀の試合で2本塁打。最終的には46本塁打まで記録を伸ばし、別当に7本差を付け一リーグ時代最後となる本塁打王を獲得しました。

 入団後の8シーズンでわずか23本塁打だった藤村ですが、この年から導入された「ラビットボール」と呼ばれる“飛ぶボール”の恩恵も受け、スラッガーへと変貌を遂げました。翌1950年は39本塁打。1949年暮れの二リーグ分立で別当を初めとし主力選手の多くが毎日に移籍したこともあり、残留した藤村はファンの心もつかみ「ミスター・タイガース」と呼ばれるようになりました。振り返れば、別当に引導を渡したここ春日野球場での一撃が、大きなターニングポイントでした。

 野球場を含む春日野運動場は昭和の終わり頃まで使用されていましたが、1988年の「なら・シルクロード博覧会春日野会場」となるのを機に閉場しました。博覧会後に再び整地され、冒頭の春日野園地となり観光客憩いの場となっています。

 ところで奈良県での一軍公式戦は、1958年4月5日に奈良市営鴻ノ池球場で近鉄対大毎の開幕戦が行われて以降、62年間も開催されていません。これは三重県の48年を上回り、最も長いブランク記録です。京セラドームや甲子園球場もそう遠くない地理的要素が、長期間未開催の要因になっているのでしょうか。県立橿原公苑野球場(佐藤薬品スタジアム)では毎年ウエスタン・リーグ公式戦が行われ、過去に一軍戦を4試合開催の実績もあります。奈良県のプロ野球ファンの人たちが、地元で一軍公式戦を見られる機会が来ることを願っています。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・奈良県公園事務所
参考文献・スポーツニッポン「内田雅也が行く 猛虎の地(7)」(2019年12月7日)
写真提供・奈良県公園事務所