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【コラム】ヤクルトの連敗を14で止めた由規の“本気”のマウンド

 暗闇からようやく抜け出した。7月22日、阪神戦。ヤクルトが6対2で勝利を収めた。連敗を14で止め(1分けを挟む)、7月の初勝利にファンの歓喜が神宮の杜にこだました。「由規もあまり調子が良くない中、5回を投げてくれた」。真中満監督が勝因の一人として名を挙げたのが先発した背番号11だった。4四球と制球に苦しんだ。だが、「勝つことしか考えていなかった」と粘りの投球で5回2失点。由規のあきらめない姿勢がチームに勝利を呼び込んだ。

 栄光とどん底を味わった男だ。2010年8月26日の横浜戦、5回一死走者なしの場面。五番・スレッジに投じた5球目のストレート。球速表示は何と161キロ。神宮の杜が揺れた。それまでの日本人最速は自身を含む4人がマークした158キロ。それを20歳の若武者が一気に3キロ更新してみせた。「日本人初の160キロ超え」という衝撃は計り知れなかった。

 しかし、順風満帆と思われたプロ野球人生にかげりが見え始める。11年9月3日の巨人戦(神宮)に先発し、7回2失点で勝利した後に覚えたのが、右肩の張りだった。次回登板を回避すると、登録も抹消された。これが長く続く負の連鎖の始まりとなった。

 二軍調整中の12年5月27日、左スネの剥離骨折が判明。この年、プロ入り後初めて一軍での登板がゼロに終わった。右肩の状態は上がらず、13年4月11日、内視鏡による右肩関節唇と腱板のクリーニング手術に踏み切った。実戦復帰までは6カ月。同年中の復帰は絶望的となった。14年11月12日には育成選手として球団と再契約。背番号は「11」から「121」に変更となった。

 事態が好転したのは16年6月22日、イースタン・リーグ、巨人戦(ジャイアンツ)後のことだった。この日先発した由規は、5回2失点と好投。視察した真中満監督は「編成に支配下登録をお願いしたい」と明言した。7月5日、支配下に昇格し、「背番号11」が手元に戻った。そして、9日の中日戦(神宮)で1771日ぶりの一軍マウンドへ。24日の中日戦(ナゴヤドーム)では歓喜の瞬間が訪れる。5回途中2失点と粘りの投球を見せて、実に1786日ぶりの白星を挙げたのだった。

 くじけそうな自分を支えてくれたのが、仙台育英高時代の部訓「本気になれば世界が変わる」。だから、連敗地獄にあえぐ中での先発にも、ひるむことはなかった。由規はこれからも“本気”でマウンドに立ち続ける。

 【文責:週刊ベースボール】