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【コラム】左打ち転向から30年。阿部慎之助が2000安打達成

 1979年3月20日、のち巨人に数々の栄光をもたらす名捕手がこの世に生を受けた。千葉県浦安市で阿部東司、由紀子夫妻に長男が誕生。それが阿部慎之助だった。体重は3140グラム。すくすくと育った慎之助の野球との出合いは早かった。物心がつく前からプラスチックのバットとゴムボールがおもちゃ。72年夏、習志野高の「六番・捕手」として甲子園に出場していた東司さんが買い与えていたのだ。

 東司さんは自らがプレーする草野球へ常に阿部を連れて行っていた。幼い慎之助はあきてぐずったりせず、試合をじっと見ていたという。自然と野球に親しんでいき、小学1年生時に「浦小クラブ」に入部。右投げ、右打ちでポジションはサードかピッチャーとして練習に打ち込んでいたが、小学2年生のとき突然、父・東司さんは学校に呼ばれた。

 「息子さんの視力が少し落ちているようです」。病院に連れて行くと、「原因は分からないが、一時的なものでしょう」と言われた。「じゃあ、左打者にしよう」。そのとき東司さんの頭にひらめきがあった。「一塁が近い分、左バッターのほうが有利だしね」。東司さんは慎之助と近所のバッティングセンターにすぐ赴いたが、左打ちは初めから様になっていたという。

 「プロに入ってからもそうだったようですが、ちょっとしたアドバイスを聞いて、即座に対応できる。わりと器用なのかもしれないですね」

 左打者・阿部慎之助の誕生――。そこから30年、プロで主に捕手を務めた阿部は、左打ちの捕手としては初の偉業を成し遂げた。

 8月13日、広島戦(マツダスタジアム)の9回一死。打席の阿部は今村猛が投じた内角低めのフォークを巧みにとらえた。打球はライナーで飛び、右翼手の前で弾んだ。史上49人目、巨人の生え抜き選手としては80年の柴田勲以来、5人目の2000安打達成となった。

 「正直、本当に打てるとは思っていませんでした。目標にもできるような選手ではなかったと自覚しています。本当、打ててしまったなというのが正直な気持ちです」と謙虚に喜んだ阿部。打撃センス、練習に打ち込む姿勢は誰しもが認めているが、こういったおごることがない心が阿部を成長させてくれたのだろう。

 2000安打の記念球に関しては「とりあえず子どもたちに触らせて、そのあとは父親にあげたいと思います」と言った。自身を左打ちへ導いてくれた父。尽きることのない感謝の念を表したのもまた、阿部らしく印象的だった。

【文責:週刊ベースボール】