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【コラム】史上52人目の2000安打を達成した“真のフランチャイズ・ヒーロー”ロッテ・福浦和也

 “幕張の安打製造機”が、プロ25年目にしてついに「2000」の大台に到達した。9月22日の西武戦、ZOZOマリンを満員の観衆が埋め尽くす中で迎えた8回の第4打席。カウント2-2から小川龍也の投じたスライダーを振り抜くと、打球はライトの右を鋭く抜けていく。弾かれたように駆け出した福浦和也は笑顔で二塁ベースに滑り込み、まず左腕でガッツポーズを見せると、二塁ベース上で両手を掲げて爆発したファンの声援に応えた。

 「無意識に二塁まで走って、無意識にガッツポーズして。とっさに自分の気持ちが出たのでしょう」

 普段は過剰なアクションを見せない25年目の大ベテランも、このときばかりは自然に体が動いていた。

 史上52人目となる通算2000安打、球団としては1968年の榎本喜八、85年の有藤道世というレジェンドに続く3人目の偉業達成。42歳9カ月での到達は、和田一浩(元中日ほか)の42歳11カ月に次ぐ史上2番目の年長記録でもあった。

 地元の千葉県習志野市で生まれ、習志野高を経て、前年に千葉へ移転してきたロッテに93年秋のドラフトで7位指名、全体最後の64番目でプロの世界に飛び込んだ“真のフランチャイズ・ヒーロー”は、7951打席をかけて地元のマリンで周囲の期待に応えてみせた。

 投手としてロッテに入団した福浦が打者に転向したのは当時二軍で打撃コーチを務めていた山本功児氏に強く勧められたからだった。

 「入団してすぐ、同期の小野晋吾と一緒にランニングへ行くとき山本さんに『ちょっとバッティングをしてみろ』と声をかけられて。野手の方々が休憩しているタイミングだったので楽しくバッティングをしていたら、その場で『バッターに転向しろ』と。投手で入団して、もちろんピッチャーとしてやりたいと思っていたので、とてもすぐに『はい』とは言えませんでしたね」

 その後も山本コーチは何回も「バッターに転向しろ」と言葉をかけてきたという。それを受け流していた福浦だったが、ある日、醍醐猛夫二軍監督に監督室へ呼ばれ「本当にバッターに転向したらどうだ」と言われ、ついに「分かりました」と受け入れた。

 そこから一軍出場まで3年半を要したが、たゆまぬ努力で練習を重ねて2001年には打率.346で首位打者を獲得した。

 「黒木(知宏)さんが入ってきたり、いろいろな先輩に出会って、他球団の選手たちとも話をすることができるようになっていって。打撃のことも含めていろいろな人に、いろいろな話を聞けたのが大きかったです」

 その後、主力として05年、10年の日本一に貢献したが近年、チームは低迷している。

 「個人としては、まだまだ上を目指してではないですけど、どうにか結果を残せるように頑張らなければいけないと思います。チームとして常にAクラスにいられるように強くなってもらいたい、ならなければいけないと思いますね」

 大記録達成後、来季の現役続行宣言も飛び出した。来季を43歳で迎えるが、ロッテにはまだ福浦が必要だ。

 【文責:週刊ベースボール】