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【コラム】巨人と“縁”を感じていたドライチ左腕 初登板初先発で勝利を飾る上々のスタート

 堂々たるデビューだった。4月4日、巨人のドラフト1位ルーキー・髙橋優貴が阪神戦(東京ドーム)でプロ初勝利を挙げた。球団の大卒新人では青木宥明以来、59年ぶりの初登板初先発勝利。この日は打線が15安打10得点で強力援護したこともあり、余裕もあったのだろう。左腕からの最速は143キロも、序盤はストレート中心に大胆に攻め、以降はスライダー、チェンジアップを織り交ぜて的を絞らせず。6回を4安打、ソロ1本のみの1失点投球に宮本和知投手総合コーチも「二重丸。花丸」と大絶賛。先発ローテ6枠のうち“育成枠”である6番手ではあったが、十分な戦力であることを証明した。

 茨城で生まれ、高校は東京の東海大菅生高、大学は青森の八戸学院大へと進んだ。ターニングポイントの1つが高校3年の夏だった。5月までは球速が130キロ程度も、その後、一気に10キロほどアップ。夏の大会で最速145キロをマークして西東京大会で準優勝を果たした。

 「(球速アップの)きっかけは分からないんです。後輩にも聞かれたんですが、説明できない。それまでの積み重ねとしか言いようがないです。自分でもびっくりしました」

 八戸学院大では投手の育成に定評があり、日本ハム入りした吉田輝星(金足農高)を指導したことでも知られる正村公弘監督の下、力を大きく伸ばした。北東北大学リーグ最多記録を更新する301個の奪三振をマーク。“みちのくのドクターK”と呼ばれた。

 「正村監督には技術的なことはもちろん、マウンドでの心構えなど、大切なことを教わりました。プレースタイルもこの4年間で確立できたと思います」

 そして、昨秋のドラフトで巨人から1位指名。伝統ある球団との“縁”を感じての入団だったという。

 「小学生のころですが、初めて参加したプロ野球選手の野球教室に、ジャイアンツOBの方が来てくれて、定岡正二さんがマンツーマン指導のあと、僕のピッチングを褒めてくれました。まだ野球を始めたばかりだったと思うのですが、そのとき定岡さんに『体が大きくなったらプロ野球選手になれるよ』と言われたことがうれしくて、本気になりました」

 中学時代に所属した友部シニアの原田明広監督も85年、巨人にドラフト外で入団したジャイアンツOBだった。

 「原田監督もピッチャーで、基本を教わりました。高校の若林(弘泰)監督は東海大相模高から東海大へ進み、原(辰徳)監督の後輩に当たりますし、僕が高校に入ってすぐのころ、菅野(智之)さんが浪人を決め、練習に来てくださったこともあります。菅野さんは覚えていないかもしれませんが、いろいろ教えていただきました」

 巨人の一員になるべくしてなった髙橋。背番号12のユニフォームをまとい、プロで最高のスタートを切った。「巨人の1位指名に恥じないように、ルーキーの中で一番の成績を残したい」と新人王をターゲットに1年目からのブレークを誓う。

【文責:週刊ベースボール】