学校創立1878年、「茨城師範学校予備学科」として水戸城の本丸跡に開校され、野球部創部は1891年の伝統校。1948年、新制高校実施の際、茨城県立水戸第一高等学校となった。水戸城の城跡に校舎、グラウンドがあり、「至誠一貫」「堅忍力行」が校是となっている。政財界、学界、スポーツ界などで活躍した卒業生は多く、野球関係では野球の教育効果に着目して学生野球の普及に努め、「学生野球の父」と言われ、「一球入魂」の言葉でも知られる飛田穂洲氏(とびた・すいしゅう。早大初代監督、野球記者、野球評論家)、石井連藏氏(いしい・れんぞう。早大元監督)らがおり、2人はともに野球殿堂入り。校内には2人の記念碑が建立されている。