1925年京成遊園地として開設し、その後、谷津遊園といわれた場所にあった野球場。1934年にベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらを招いての日米野球開催のために編成された全日本チームの選手たちがこの地に集結し練習を行った。この日米野球終了後の12月、この時のメンバーを母体として大日本東京野球倶楽部(のちの巨人軍)が結成されたため「読売巨人軍発祥の地」とされる。谷津バラ園の入口付近には「読売巨人軍発祥の地 正力松太郎」と刻まれた記念碑が建てられ、その前に川上哲治、長嶋茂雄、王貞治など巨人軍選手たちの手形もある。なお1982年に閉園したが、東洋一といわれたバラ園は1988年に「谷津バラ園」として再オープンした。