1920年代に明治大の駒澤運動場があり、1925年9月20日に東京六大学野球初の試合となる明治大ー立教大が行われた。1953年「東急フライヤーズ」の親会社・東急が東京駒澤総合運動場の一角に野球場を造り、東京都に寄付。当時の球場周辺は一面に野菜畑が広がっていた。初めてのプロ野球公式戦は同年9月27日、東急ー南海のダブルヘッダー。翌54年から「東映フライヤーズ」の本拠地となるが、集客に苦しみ、同年4月3日の東映─南海の観客は186人だったともいわれていた(公式発表は3000人)。その後、59年入団の張本勲らの加入で徐々に人気も高まり、豪快なチームカラーから、「駒沢の暴れん坊」と異名を取った。1964年の東京五輪会場に決まり、東京都から返還命令が出て1961年で使用終了。9年間で685試合の公式戦が行われた。