1888年に慶應義塾体育会野球部の前身である三田ベースボール倶楽部が創部。1893年には当時最強と呼ばれていた旧制第一高を倒すなど、次第に力をつけていった。その後、三田綱町に新しくグラウンドを造り、1903年に早稲田大からの挑戦により、第1回の早慶戦が行われた。立錐の余地なく3000人ほどの観客が集まった試合は慶應大が11−9で勝利。この試合をきっかけに春秋に「定期戦」を開催することが決まった。1913年には世界周遊野球団として来日した「シカゴ・ホワイトソックス」と「ニューヨーク・ジャイアンツ」の米大リーグチーム同士の試合も行われた。現在は硬式野球部の使用はないが、バックネット裏付近には「早慶戦100周年記念碑」がある。