1876年、アメリカ留学で機関車両・機械類製造技術のほかベースボールを修得した平岡熈(ひろし)が帰国。工部省鉄道局技師となり、勤務していた新橋停車場構内に仮運動場を設け、用具や規則書を輸入しユニフォームを作るなどした。1878年に新橋停車場内に日本初の野球場を造り、日本初の本格的野球チームとなる「新橋アスレチック倶楽部」を結成、ここで練習を行った。同倶楽部は平岡が1888年に鉄道局を退職するまで続いた。三味線、小唄の名手であり、日本で初めてカーブを投げた男としても知られる平岡は1959年、読売巨人軍を創設した正力松太郎らと共に野球殿堂入り第1号に。新橋の赤レンガ通りに「日本の野球チーム発祥の地」と刻まれたプレートがある。