上田城の跡地に1928年に開場した球場。当時の上田市長・勝俣英吉郎が、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念事業として、県からの補助金を得て建設したものだ。堀跡をそのまま活用しテニスコート、陸上競技場、市営野球場を造った。陸上競技場と野球場は、「百間堀」と呼ばれた広大な堀の跡を利用し、どちらも観客席は堀の内側の斜面を利用している。百間堀がとても大きなものだったことが分かる。長らく上田市営球場の名称だったが、2006年の市町村合併により現名称に変更された。プロ野球は1リーグ時代の1948年から1958年までに14試合を開催。センターまで111.3mと狭く、外野の膨らみも小さかったので本塁打が量産された。1951年8月1日の松竹−阪神では、松竹の岩本義行がプロ野球史上初となる1試合4本塁打を記録した。