1922年に運動具店を営んでいた山本権十郎が私財を投じ、山本球場として開場。日本で初めて民間企業の一経営者により造られた野球場でもある。1924年に第1回の選抜中等学校野球大会を開催。1990年で球場は閉鎖されているが、現在は「八事球場メモリアルパーク」が設けられ、本塁があった位置に「センバツ発祥の地」のモニュメントが設置されている。プロ野球では1936年7月に、のちに「伝統の一戦」といわれることになる巨人−大阪タイガース(阪神)の公式戦初対決があり、大阪タイガースが8-7で勝利しているが、設備の問題もあり、プロ野球の使用は同年のみだった。戦後は国鉄(のちJR東海)八事球場と名称を変え、社会人野球のグラウンドとして使用された。