聖地・名所150選

愛知県大須球場跡

戦災を受けた寺院から一帯の土地を購入した高島三治氏が、焼け野原で草野球に興じる人々を見て、一念発起。終戦2年後の1947年12月に両翼93m、中堅112.9mとプロ野球も開催できる規模の球場を造った。センター後方のグラウンド内に木が立っていた。外野の膨らみが小さいことから乱打戦が多く、1950年の東急−西鉄ではプロ野球記録となる両チームで35得点が記録された。1951年の阪急−大映では大映の飯島滋弥が2本の満塁本塁打を含む3本塁打。この時の11打点もプロ野球記録である。1952年で閉鎖。わずか5年と短命で消えた。跡地は名古屋スポーツセンターとなり、アイススケートのリンクがある。