1928年に開場した球場で内野スタンドには鉄傘があった。開場当時、近辺の人たちは「ヨーロッパのお城のようだ」と驚いたという。1950年にパ・リーグに加盟した近鉄パールスが専用球場として大改修。3万5000人収容の球場となった。だが、ナイター設備が無かったことで58年からは日生球場を使い始めた。72年にようやくナイター設備工事をスタートしたが、完備されたのは1984年と遅かった。1984年に近鉄のエース・鈴木啓示が300勝を達成、1989年には近鉄がリーグ優勝を飾るなど名勝負が繰り広げられた。跡地には四天王寺小、四天王寺東中・高が開設され、正門東側には藤井寺球場記念モニュメント「白球の夢」が設置されている。