全国中等学校優勝野球大会を1917年の第3回から第9回大会まで(米騒動により中止された第4回を除く)6回開催した野球場。1907年に完成した関西競馬場(後の鳴尾競馬場)の中に、1916年、二面のフィールドを完成させた。周囲に木造式移動スタンドを並べて6000人ほどの観客を収容した。鳴尾に移ってからの中等野球の人気は高く、第9回大会では観客が場内に入り込み、度々試合が中断した。こうした事態により、阪神電鉄は甲子園球場の建設を決心することになり、1924年甲子園球場完成と共に閉鎖された。跡地近くの浜甲子園運動公園の一角に「鳴尾球場跡地」の記念碑が建てられている。