1921年に三宅町でグラブの製造が始まったとされる。皮革関連の技術を習得した坂下徳治郎氏が美津濃運動具店(現・ミズノ)から野球グラブに使う革の裁断を依頼されたことからグラブ造りに興味を持ち、研究。三宅町で生産をスタートさせたのが始まりと言われる。1970年の最盛期には三宅町で全国の生産量の60%、近隣を合わせれば90%を占め、輸出したグラブ、ミットは587万個にもなった。