島根県初の野球場。現在の北公園多目的広場となっている場所に1932年に完成。戦前の1940年10月14日にシーズン中ながら巨人−阪急のオープン戦を開催。前日、西宮球場で公式戦を戦った両軍選手は、試合後大阪駅21時30分発の大社行き夜行列車に乗車。およそ11時間夜汽車に揺られ、松江駅到着は試合当日の朝8時29分という強行日程だった。戦時中はグライダーの練習場として使われ、戦後の1949年7月から再び野球場に。初の公式戦は2リーグ分立の1950年で毎日−西鉄が開催された。1955年のトンボ−西鉄では、西鉄の仰木彬がパ・リーグ初の1試合6安打を記録した。1974年秋で閉鎖が決定。11月3、4日の2日間「松江球場さようなら行事」として市内の中学生、高校生らによる野球大会を開催した。