「ナイター設備がある球場を」という広島市民の強い声に押され、東洋工業(現マツダ)の松田恒次社長が地元財界に呼びかけ、10社による「二葉会」の寄付金で旧練兵場跡地に完成した。同地は第二次世界大戦で原爆を投下された広島市の爆心地に近く、原爆ドームに向き合う球場は焦土の地に誕生した復興のシンボルとなった。1957年の開場時から2009年にマツダスタジアムが完成するまで、広島東洋カープの本拠地として3182試合を開催。1968年に外木場義郎が史上10人目の完全試合を達成。1987年には衣笠祥雄が2131試合連続出場の世界新記録を樹立した。球場は2011年に解体されたが、敷地内には広島の栄光の歴史を刻んだ「勝鯉の森」が残されている。