1949年開場で、現在は球団経営から離れているが大洋漁業(現・マルハニチロ)の本社が下関にあったことから、この地で産声を上げた大洋ホエールズの専用球場として使用される。総工費2500万円で、うち2000万円は市民にも出資を呼びかけ、出資者による組合団体を結成して運営したが、1950年11月には下関市に身売りした。1950年3月10日、2リーグ分立で誕生したセ・リーグの開幕戦の舞台となり、大洋−国鉄、中日−阪神の2試合を行った(ほか4球団、巨人、松竹、西日本、広島は同日平和台で開催)。1960年にはサンフランシスコ・ジャイアンツ─全日本選抜の日米親善野球が行われた。1985年に閉鎖され、跡地には市立病院が建っている。