かつての愛媛県のメイン球場。高台に松山城を望み、お堀の中にあった。地元企業の寄付金と市内に通う学生らの勤労奉仕により「松山総合グラウンド」として1948年に開場。1949年に県下初のプロ野球を開催したほか、1959年以降に大洋、大毎など5球団が春季キャンプを行った。1950年8月23日、高校を中退し、国鉄入りしたのちの400勝投手・金田正一が、この球場の広島戦で五回裏からリリーフでプロ初登板をすると、同点で迎えた九回裏二死一、二塁のピンチを招き、阪田清春にライト前へ痛烈なサヨナラ打を喫し、敗戦投手となった。現役時代のヤクルトの池山隆寛が毎年自主トレで使用していたことでも知られる。2003年に閉場し、その後、解体。「松山市営球場」の銘板が、坊っちゃんスタジアムの正面玄関脇に残されている。