正岡子規は俳人、歌人としてだけではなく、様々な創作活動を行った明治を代表する文学者の一人だ。東京大学予備門時代にベースボールを知り、熱中し、郷里の松山にバットとボールを持ち帰って、母校の松山中学の生徒らにベースボールを教えた。幼名「升」から雅号で「野球(のぼーる)」と読ませたことがあるが、ベースボールの翻訳という意味ではなかった。1896年には「日本」新聞に連載された『松蘿玉液』の中で野球のルール、用具、方法などについて詳しく解説。野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ、2002年には野球殿堂入りも果たす。記念館は1981年にオープン。松山市内の「道後温泉駅」前にはユニフォーム姿の正岡子規像が建立されている。