1934年11月26日に日米野球が行われた舞台。晩秋の冷たい雨が降る中、ベーブ・ルースが放った一打は125mの右翼スタンドを超える特大本塁打だったと伝わる(陸上競技場を兼ねていたため球場の形がいびつでレフトは85mだった)。試合は8-1で全米チームが勝利。15戦目だったが、ルースは11号だった。球場は1924年に開場し、戦前は都市対抗野球の九州地区予選や、製門戦(八幡製鉄対門司鉄道管理局)の試合が行われた。プロ野球は一軍公式戦の開催は無いが、オープン戦が何度か行われている。第二次世界大戦中に球場廃止。今は記念碑が設けられ、ルースのホームラン写真、当時のスタメンメンバー、スコアが載っている。