杵島炭鉱が1930年に開場した野球場。社会人の都市対抗野球に2回出場した杵島炭鉱野球部の練習場として使用された。当初の外野フェンスは高さ60センチほどの「石積」で造られていた。プロ野球は1937年、秋のリーグ戦を前に大阪タイガースが名古屋と帯同し、中国・九州を転戦した際、7月30日にオープン戦を行い、名古屋が9−5で勝利している。一軍公式戦は1952年7月20日の西鉄−東急のダブルヘッダーが最初で、初戦は米軍基地に勤務していたオニールが先発した。1953年4月12日に同じく西鉄−東急が開催されたが、それが公式戦開催の最後となる。1969年に杵島炭鉱が閉山後は大町町民グラウンドとなり、今も地域の野球大会で使用されている。