聖地・名所150選

大分県別府市民球場跡(現:別府市総合体育館「べっぷアリーナ」)

湯の街別府に1931年に完成した野球場。戦前からアマチュア野球の試合が多く行われた。また、戦後の復興期に市内でしのぎを削った社会人野球の星野組と植良組の定期戦の球場としても使われた。都市対抗野球で活躍し、火の玉投手といわれた荒巻淳投手(毎日ほか)、のちに大毎、阪急、近鉄の監督となる西本幸雄内野手は、このグラウンドから巣立った。プロ野球は1950年の西鉄−東急(西鉄が6-5で勝利)を含め、4試合を行い、1957年4月11日、広島−阪神(阪神が7-0で勝利)が最後だった。跡地にはべっぷアリーナが建つ。2007年開場の市民球場は違う場所に立つが、「別府稲尾球場」ともいわれ地元の英雄・稲尾和久のブロンズ像、資料館などがある。