1940年に開場し、かつて鹿児島県のアマチュア野球のメイン球場として使用されていた。ロッテが県立鴨池野球場で春季キャンプを張っていた際にはサブグラウンドとして使用され、韓国プロ野球のキャンプ地でも使用されている。1リーグ時代の1949年8月18日に県内初のプロ野球として阪神−阪急が行われ、阪急が10-1と大勝。その後、1952年までに4試合行った。球場正面入口横には鹿児島県出身の教育者、中馬庚の胸像が建てられている。中馬は1894年10月28日に著した「第一高等学校野球部史」で、初めてベースボールを「野球」と訳した。2020年には鹿児島大と東京大が「日本野球誕生125周年 中馬庚先生記念試合」として、この球場でオープン戦を戦っている。