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【球跡巡り・第3回】4球団がキャンプを張った野球王国・愛媛の聖地 松山市営球場

 「いで湯と城と文学のまち」愛媛県松山市。松山城がそびえる勝山を中心に栄えた城下町は、今も市街地をレトロな路面電車が走り旅情を誘います。松山市営球場は、その松山城がある城山公園の一角にありました。

 地元企業の寄付金と、市内に通う学生らの勤労奉仕により「松山総合グラウンド」として1948年7月に完成。同年12月には巨人対金星のオープン戦が行われました。巨人には松山商OBの千葉茂が、金星には伊予郡郡中町(現・伊予市)出身でその年の9月にプロ野球初の1000試合出場、1000安打を達成した坪内道則が在籍。地元ゆかりのスター選手の凱旋に、初冬の寒空にもかかわらず2万人の観衆が詰め掛け、盛り上がりました。

 二リーグ制になると、温暖な気候もあり春季キャンプ地としてプロ野球を導きます。1959年は大洋、1961、62年は大毎、1965~68年の4年間は中日、1974年には日拓から球団を譲り受けた日本ハムが、キャンプを張りました。今ではキャンプ地といえば沖縄ですが、1962年には松山市での大毎のほか、香川県高松市で東映、高知県高知市で阪神、阪急と、四国4県のうち3県で春季キャンプが行われました。

 国鉄、巨人でエースとして活躍し、プロ野球最多記録の400勝を挙げた金田正一投手には、ほろ苦い想い出が残ります。1950年7月、夏の甲子園予選に敗れるとそのまま高校を中退し、17歳で国鉄に入団。8月23日、松山市営球場での広島戦でプロ入り初登板を果たします。5回裏からリリーフすると、同点で迎えた9回裏、2死一、二塁のピンチを招き、阪田清春にライト前へ痛烈な打球を弾き返され、サヨナラ負けを喫したのです。

 デビュー戦から60余年経った、2017年夏。84歳になった金田さんが愛媛県新居浜市で行われた親善野球大会でマウンドに立ち、マイクを握りました。「今から67年前。今でも忘れません、初登板が松山球場というお城のそばにあった球場です。9回裏、広島カープの、名前も忘れません、阪田というキャッチャーにサヨナラヒットを打たれました」と、克明に述懐。通算400勝のほか、365完投、5526⅔投球回、4490奪三振…。今後も不滅と言われる様々な金字塔は、デビュー戦で喫した痛恨の黒星が糧となり打ちたてられたのです。

 開場から40年以上経過した1990年代になると、老朽化による整備を余儀なくされました。しかし、球場のある城山公園は国の史跡に指定されており、文化財保護の観点から改修もままなりません。そこで、松山市は市営球場の中央公園計画区域(市坪西町)への移転を決定。完成したのが松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)です。その正面玄関の脇には、かつて市営球場に設置されていた「松山市営球場」の銘板が移設されています。

 野球場は2003年5月に閉場し、翌2004年にはスタンド等の施設も撤去。隣接していた競輪場やテニスコートもなくなり、跡地は広大な更地となっています。2011年秋には、野球王国・愛媛の礎を築いた松山市営球場の歴史を後世に伝えようと、投手板、ホームベース、バッターボックスを当時の場所に再現。解説板も設置されました。

 4月下旬、うららかな春の昼下がり。近くの専門学校に通う若者たちが、昼休みに上着を脱いでキャッチボールを楽しんでいました。かつての愛媛県の野球の聖地は、市民の憩いの広場となっています。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・松山市総合政策部
参考文献・「愛媛の野球100年史」愛媛新聞社