• セントラル・リーグ
  • 阪神タイガース
  • 横浜DeNAベイスターズ
  • 読売ジャイアンツ
  • 中日ドラゴンズ
  • 広島東洋カープ
  • 東京ヤクルトスワローズ
  • パシフィック・リーグ
  • 福岡ソフトバンクホークス
  • 北海道日本ハムファイターズ
  • オリックス・バファローズ
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 埼玉西武ライオンズ
  • 千葉ロッテマリーンズ
  • 侍ジャパン

日本野球機構オフィシャルサイト

ニュース

NPBニュース

【コラム】栗山英樹氏がエキスパート表彰で野球殿堂入り。日本ハム、侍ジャパンを頂点に導き、大谷翔平を二刀流で育成、「努力の人」の生き様とは

 公益財団法人野球殿堂博物館が1月15日に「2026年 野球殿堂入り通知式」を開催し、引退後21年以上のプロ野球選手が対象の「競技者表彰委員会・エキスパート部門」表彰で、日本ハム、侍ジャパンの監督を務めた栗山英樹氏が選出された。プロ野球の伝統を大切にしながら、大谷翔平(現ドジャース)を投手と野手の二刀流で育成するなど固定観念にとらわれない発想力、指導手腕は後世にも語り継がれるだろう。

 立ちはだかる壁を何度も乗り越える。努力の人だ。東京学芸大で投手、内野手の「二刀流」でプレーしたが、右肘を故障して野手に専念。当初は教員を目指していたが、野球への夢を捨てきれず入団テストを受け、ヤクルトにドラフト外で入団した。大きな希望を抱いてプロの門を叩いたが、2年目に突然の目まいや立ちくらみに襲われる三半規管の難病「メニエール病」を発症。病気と闘いながら、俊足巧打のスイッチヒッターとして奮闘した。3年目の1986年に107試合出場で規定打席未到達も打率.301をマーク。88年も規定打席に33打席足りなかったが、打率.331の高打率を残している。ただ、病気に加えて古傷の右肘の故障が再発し、90年限りで7年間の現役生活を終えた。

 その後は野球解説者、スポーツキャスターとして活動する傍ら、白鷗大で経営学部教授としてスポーツメディア論・野球型などを専門分野に教えた。日本野球機構などが開催するシンポジウム「夢の向こうに」で2003年の第1回から司会を務めるなど、プロ野球選手と高校球児の交流事業にも積極的に参加。アマチュア野球の取材に熱心であることでも知られた。

 日本ハムの監督に就任したのは2012年。ダルビッシュ有がメジャー挑戦でチームを去り苦戦が予想されたなか、リーグ優勝を飾った。話題になったのが中田翔を四番に固定した起用法だった。前半戦は打率1割台と打撃不振だったがスタメンから外さなかった。中田がシーズン中に「ファームに行かせてください」と懇願したが、栗山氏が「俺は認めない」と首を縦に振らなかったのは有名な逸話だ。チームを強い組織にするために、心を鬼にする。中田はその後に打点王を3度獲得するなど打線の軸になった。

 翌13年に入団した大谷翔平は投手と野手の二刀流で起用。前代未聞の育成方針に批判的な見方が少なくなかったが、大谷の意思を尊重した上で能力を最大限に発揮させるスタンスを変えなかった。大谷はその後、異次元の活躍を見せるが、栗山氏の采配も光った。16年はソフトバンクに最大11.5ゲームの大差をつけられたが、7月3日の同戦(ヤフオクドーム)に「一番・投手」でスタメン起用。大谷も驚く起用法だったが、プロ野球史上初の投手で先頭打者アーチを放ち、投げても8回10奪三振で無失点に。私淑する三原脩氏の「三原マジック」を彷彿とさせる奇策で勝利をつかむとシーズンの流れを変えた。逆転でリーグ優勝を飾り、日本シリーズでも広島を破って10年ぶりの日本一に導いた。

 日本ハムの監督を10年間務めて21年限りで退任すると、侍ジャパンの監督に就任。23年のWBCではラーズ・ヌートバーを日系人選手で初選出した。選手だけでなく、コーチやスタッフの様子にも気を配り対話を重視する。固い絆で結ばれた集団は強かった。村上宗隆は打撃の状態が上がらなかったが、スタメンで起用し続ける指揮官の期待に応え、準決勝・メキシコ戦で1点差を追いかける9回に逆転サヨナラ適時二塁打。決勝の前回覇者・米国戦は9回にマウンドに登った大谷が無失点で締めて3対2で逃げ切り、3大会ぶりの王座奪還を果たした。日本列島が大フィーバーで沸く中、栗山氏が「1人でも2人でも子どもたちが野球をやってくれるかもしれない」と記者会見で語った姿が印象的だった。

 組織のリーダーとして勝利だけでなく、野球界の発展に身を捧げてきた。飾らない性格と芯の強い性格で選手たちから慕われてきた。大谷は「栗山監督に指揮していただいたファイターズでの5年間、そして2023年のWBCでの思い出は僕の大切な財産になっています。栗山監督が残してきた数々のご功績とその人柄がこのような形で歴史に名前が刻まれることをうれしく思います」と感謝の言葉を述べた。野球愛に満ちあふれた栗山氏は今後も歩みを止めないだろう。

【文責:週刊ベースボール】