【ファーム球場物語】~日本ハム、DeNA、楽天編~
日本ハム:ダルビッシュ有や大谷翔平を育んだファイターズタウン鎌ケ谷
【東映(1962~1972)、日拓ホーム(1973)、日本ハム(1974~2003)、北海道日本ハム(2004~)】
1961年までは一、二軍ともに駒沢球場を本拠地にしていましたが、1964年の東京五輪開催が決まり会場整備を理由に球場が廃止になります。そこで二軍は水原茂一軍監督の伝手を頼りに、東急東横線新丸子駅近くの多摩川河川敷の敷地を確保。1962年6月に東映多摩川グラウンドが完成し、練習場兼公式戦開催球場にしました。
ここは外野後方に東横線の鉄橋が架かっていました。球場にバックスクリーンがなかったので、打者は電車が通ると打撃に集中できず球審にタイムを要求。“電車タイム”により度々ゲームが中断されました。また、公式記録員のジャッジを表示する電子機器も設置されていませんでした。ネット裏の記録席には棒の先に手書きで「H」と「E」が背中合わせに記されたボードが置かれていて、必要に応じてそれを両軍ベンチに向けて明示しました。
そんな環境下で昭和を過ごし、本拠地移転を模索したのは時代が平成を迎えた1989年。1987、1988年とイースタン・リーグのトーナメント大会を開催した神奈川県の県立相模原球場にターゲットを定め、2年間は多摩川グラウンドと併用。1991年から練習場や寮はそのままで、本拠地のみ相模原球場に移転しました。
現在の本拠地、千葉県のファイターズ鎌ケ谷スタジアム(当初は日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷)に拠点を移したのは1997年。球場は両翼100メートル、中堅122メートルで、当時の一軍本拠地・東京ドームと同じ広さで造られました。敷地内に室内練習場や寮があり育成環境も申し分ありません。ダルビッシュ有投手(パドレス)や大谷翔平選手(ドジャース)らがこの地でプロのスタートを切り、大きく羽ばたいたことは特筆すべきことでしょう。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1962~1988 | 日本ハム多摩川 |
| 1989~1990 | 日本ハム多摩川・県立相模原 |
| 1991~1996 | 県立相模原 |
| 1997~ | 日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷 |
球場名の変遷
・日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷=ファイターズ鎌ケ谷スタジアム(2017~)
DeNA:神奈川の地に60余年、地元に密着しての育成は不変
【大洋(1962~1977)、横浜大洋(1978~1992)、横浜(1993~1999)、湘南(2000~2010)、横浜(2011)、横浜DeNA(2012~)】
二軍の練習施設、大洋多摩川球場は1957年に神奈川県川崎市等々力の多摩川べりに完成していましたが、1962~1965年の公式戦はほぼ川崎球場で開催。1966年に同球場と併用する形で大洋多摩川でも6試合を行い、1967年からメイン球場になりました。以降、1978年までの12年間はここにどっしりと腰を据えて公式戦を戦います。
1979年は前年から一軍本拠地になった横浜球場で12試合を行いました。翌1980年に横浜市内の保土ヶ谷大洋球場へ移転しますが、この球場は付帯設備が十分でなかったので1985年に平塚球場が完成すると1986年からの公式戦はここで開催しました。そして、1987年に横須賀市内の大洋漁業の倉庫跡地に合宿所を併設した総合練習場を新設し、保土ヶ谷から練習拠点も移しました。
1993~1996年の4年間は平塚球場をメインに、ここでも16試合の公式戦を開催。1997年に追浜球場を全面改修した横須賀スタジアムが完成すると本拠地を移転します。また、2000年からは二軍の球団名を「湘南シーレックス」に変更し、地域密着に一層注力しました。同チームは2010年シーズン終了までの11年間存続。経営面では厳しい点もありましたが、一軍と二軍が独立したチームとしての活動はNPB史上初で注目を集めました。
横須賀スタジアムが本拠地となって今年で30年になりますが、この間もずっと平塚球場の準本拠地としての位置付けは不変で年間10試合前後の公式戦を行っています。本拠地として利用を始めた1986年から数えると40年になり、この間の公式戦試合数はリーグ7位の712。これだけ長期にわたり、一球団が一つの公設球場を使用し続けた例はありません。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1962~1965 | 川崎 |
| 1966 | 川崎・大洋多摩川 |
| 1967~1978 | 大洋多摩川 |
| 1979 | 大洋多摩川・横浜スタジアム |
| 1980~1984 | 保土ヶ谷大洋 |
| 1985~1996 | 平塚 |
| 1997~2006 | 横須賀スタジアム |
| 2007~ | 横須賀スタジアム・平塚 |
球場名の変遷
・平塚=バッティングパレス相石スタジアムひらつか(2014~)
楽天:山形県で船出、宮城県に腰を据えて若手選手育成へ
【東北楽天(2005~)】
2005年からイースタン・リーグに加入した楽天。その船出は山形県でした。2005~2008年の4年間は山形市に隣接する中山町の山形県野球場をメイン球場に、天童市スポーツセンターでも毎年10試合前後を開催。一軍本拠地がある宮城県内での試合は2006~2008年に仙台宮城球場で年に数試合でした。
この間にチームは仙台市泉区に練習場と寮を建設。「楽天イーグルス泉練習場」が完成しました。これにより2009年からは寮から近い宮城県利府町の利府町中央公園野球場が本拠地となり、山形県内での試合は次第に少なくなって行きます。泉練習場はその名称通り練習専用を前提に造られたので、スタンドやスコアボードはありませんでした。したがって公式戦は開催できませんでしたが、球団は二軍戦の開催球場を宮城県内に集約する方針を示し、2016年3月までに泉練習場でも公式戦が行えるよう付帯設備を充実させました。
こうして2016年からは泉練習場がメイン球場となり、利府町中央公園がそれをサポートする形でほとんどの公式戦が宮城県内で行われるようになりました。さらに2020年以降は泉練習場にほぼ一本化。2020~2025年の6年間の公式戦開催実績は8割を超えました(343試合中、286試合)。「楽天二軍=泉」の認知度は徐々に広まっています。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 2005 | 山形県野球場、天童市スポーツセンター |
| 2006~2008 | 山形県野球場、仙台宮城、天童市スポーツセンター |
| 2009 | 利府町中央公園、天童市スポーツセンター |
| 2010~2013 | 利府町中央公園、仙台宮城 |
| 2014 | 利府町中央公園 |
| 2015 | 利府町中央公園、仙台宮城 |
| 2016~2017 | 泉、利府町中央公園 |
| 2018 | 泉 |
| 2019 | 泉、利府町中央公園 |
| 2020~ | 泉 |
球場名の変遷
・仙台宮城=フルキャストスタジアム宮城(2005~2007)、クリネックススタジアム宮城(2008~2010)、日本製紙クリネックススタジアム宮城(2011~2013)、楽天Koboスタジアム宮城(2014~2016)
・利府町中央公園=楽天イーグルス利府球場(2009~)
・泉=ウェルファムフーズ森林どりスタジアム泉(2018~2023)、森林どりスタジアム泉(2024~)
【NPB公式記録員 山本勉】
| 参考文献・ | 「二軍史 もう一つのプロ野球」松井正(啓文社書房) |
|---|---|
| 写真提供・ | 北海道日本ハム |




