【ファーム球場物語】~広島、阪神、クラウン、近鉄編~
今回からは昨年までのウエスタン・リーグに参加したことがあるチームを紹介します。リーグは1955年に活動を開始しましたが、ここではスコアカードが整理されている1961年以降を取りまとめました。
広島:自然豊かな山口県の山あいで鍛えられる若鯉軍団
【広島(1961~1967)、広島東洋(1968~)】
一軍の本拠地広島市民球場で公式戦を行っていた二軍が初めて拠点を移したのは1978年。同球場と併用の形で広島県福山市の神勝寺球場で公式戦の半数を開催しました。JR福山駅から南へ約15キロメートル。瀬戸内海沿岸の景勝地・鞆の浦の近くにある野球場で、1990年代半ばまで若き鯉軍団が鍛えられました。
そして1993年、山口県岩国市に現在も本拠地として使用している由宇練習場が完成し移転します。グラウンドは市内から車で1時間ほどを要する人里離れた山奥に位置しており、自然豊かな好環境。名称は「練習場」ですが、内外野に観客席があり、ファウルグラウンドも見事な大きさを誇る“球場”です。鈴木誠也(カブス)や丸佳浩(巨人)らもここで研鑽を積み、羽ばたきました。
一軍は1950年代前半に「学校の校庭」で公式戦を行ったことは知られていますが、二軍もウエスタン史上唯一の開催実績があります。1962年8月19日の広島対南海7回戦のスコアカードの球場名は「広島県吉田町 吉田高校」と記されています。吉田高校は広島県安芸高田市(当時は高田郡)に現存する高等学校で、敷地内にある校庭でゲームが行われました。
この日は日曜日でグラウンドを囲むように4000人が詰めかけます。試合は乱打戦になり両チームで9本塁打(広島4、南海5)が飛び交い、9対6で広島が打ち勝ちました。県北部の山あいにある公立高校の校庭で行われた一戦は、プロ野球を生観戦する機会が少ないファンを魅了したことでしょう。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1961~1977 | 広島市民 |
| 1978~1992 | 広島市民・福山神勝寺 |
| 1993~1994 | 由宇練習場・みろくの里神勝寺 |
| 1995 | 由宇練習場・広島市民 |
| 1996 | 由宇練習場・みろくの里神勝寺 |
| 1997~ | 由宇練習場 |
球場名の変遷
・福山神勝寺=みろくの里神勝寺(1990~)
阪神:長期的戦力強化を目指してボールパーク誕生
【阪神(1961~)】
公式戦、練習ともに甲子園球場で行っていた二軍に初めて練習施設ができたのは1979年。兵庫県尼崎市内の、かつて阪神電鉄の路面電車の車庫だった場所に阪神浜田球場が竣工しました。ただしこの球場は立地が交通量の多い国道脇ということもありほとんど練習で利用され、公式戦はシーズン終盤に雨天中止試合の振替ゲームが時々行われる程度でした。
球団が「長期的な戦力強化のためには練習施設の見直しが必要」と、甲子園球場の近くに選手寮(虎風荘)を併設した鳴尾浜球場を建設したのは1994年。翌1995年から練習はもちろん公式戦も開催します。以降2024年までの30年間、しっかりと足を着けて若手育成の拠点になりました。この間の公式戦開催は1147試合。年平均40試合近くを行いました。
同球場の老朽化もあり2025年春に阪神なんば線大物駅近くの小田南公園内にメイン球場、サブグラウンド、室内練習場、選手寮などを備えたボールパークを新設し移転しました。メイン球場は方角や形状が甲子園球場と同様に造られており、スタンドも二軍施設としては最大級の4400人が収容可能です。初年度はここで60試合を行い18万8496人が来場。1試合平均の入場者は約3140人で、リーグ平均(1527人)の2倍を超えるファンが詰めかけて賑わいました。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1961~1994 | 甲子園 |
| 1995~2024 | 阪神鳴尾浜 |
| 2025~ | 日鉄鋼板 SGLスタジアム 尼崎 |
クラウン:平和台球場でウエスタン&一軍ダブルヘッダーを同日開催
【西鉄(1961~1972)、太平洋クラブ(1973~1976)、クラウンライター(1977~1978)】
西鉄の選手寮が香椎球場正面スタンドの後方にあったことから、1963年までは平和台球場と併用で公式戦を開催。1964年以降は太平洋クラブ、クラウンライターとチーム名が変わった中でも平和台球場のみを本拠地として戦いました。
年に何度かは一軍戦前に前座で二軍戦を行いました。そのシステムは今も変わりませんが、驚かされるのは一軍戦のダブルヘッダーが組まれている日にも前座試合を行ったことです。すなわち、同一球場で1日3試合の公式戦を興行したのです。
1964年7月29日、水曜日。午前11時から西鉄対近鉄7回戦のウエスタン公式戦を行った後、午後4時30分からパ・リーグ公式戦、西鉄対近鉄のダブルヘッダーを開催しました。そんな中で西鉄の三好守外野手と近鉄の山田勝国外野手は、ともに3試合全てに出場という珍しい記録を残しています。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1961~1963 | 平和台・香椎 |
| 1964~1978 | 平和台 |
近鉄:球団初の日本人ホームランキングを育んだ藤井寺球場
【近鉄(1961~1998)、大阪近鉄(1999~2004)】
大阪府八尾市の山本球場や奈良市の奈良市営球場で数試合興行を行った他は、一軍同様に藤井寺球場と日生球場をメインに公式戦を開催しました。
1961年から1972年まで12年連続4位以下(7チーム中)と低迷しましたが、1973年に念願のウエスタン・リーグ初優勝。1979年の2度目の制覇は、パ・リーグ初優勝を果たした一軍との“アベック優勝”で藤井寺球場は盛り上がりました。
近鉄時代の2000年にパ・リーグ本塁打王に輝いた中村紀洋選手は二軍初本塁打を藤井寺球場に刻んでいます。1992年5月26日、オリックス7回戦の4回裏、古溝克之投手から左翼ポール際にプロ通算117打席目で待望の一発。NPB歴代19位の404本塁打を放った長距離砲の歩みはここから始まりました。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1961~1965 | 藤井寺 |
| 1966 | 日生 |
| 1967~1968 | 日生・藤井寺 |
| 1969~2004 | 藤井寺 |
【NPB公式記録員 山本勉】
| 参考文献・ | 「二軍史 もう一つのプロ野球」松井正(啓文社書房) |
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