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【球跡巡り・第96回】セ・リーグ通算25000号が刻まれた 長野県営松本球場

 国宝松本城が街の中心に鎮座する長野県松本市。その奥座敷として開湯から1300年の歴史を誇る浅間温泉の近くに、市が所有する松本市野球場(セキスイハイム松本スタジアム)があります。かつてここには大正年代に開場した歴史ある長野県営松本球場がありました。

 大正天皇と貞明皇后の成婚25周年事業として建設され1926年9月に完成。当初、この球場の外野は狭いうえに柵がなく、レフトからライトまでは低い堤(てい)で囲まれていました。したがって試合の度に使用団体が独自のグラウンドルールを作っていたようです。

 1947年8月16日に球場初の公式戦として行われた阪急対巨人、東急対大阪タイガース(阪神)の変則ダブルヘッダーでは「堤を越えたらエンタイトル三塁打」としました。この日は本塁から外野方向へ強い風が吹いていました。グラウンドルールに打者有利の気象条件も重なり、球史に残る記録を生むことになります。

 第一試合で巨人が3回表に阪急の先発今西錬太郎投手を打ち込んで「イニング4三塁打」の新記録をマークすると、続く第二試合では東急が5本、大阪タイガースが4本と三塁打の応酬となり「両チーム計9三塁打」のこれまた新記録が作られました。この2つの記録は80年近く経った今も破られることなくプロ野球記録として残ります。(イニング4三塁打は2019年にオリックスも記録してタイに)

 翌1948年の5月16日に行われた中日対大阪タイガース戦は、前年の三塁打量産を甘過ぎると考えた審判団が「堤を越えたらエンタイトル二塁打」と“ルール変更”。すると三塁打がなくなった代わりに、両チームで計8本の二塁打が飛び出しました。公式記録員を務めた山内以九士氏はスコアカードに「外野に柵がないので土手を越えて場外に出たのを二塁打としたので興味少なし」と記し、球場の不備を嘆いています。

 両翼97.6メートル、中堅115.9メートルの位置に外野フェンスが作られたのは1949年。ようやく野球場の体をなし、プロ野球は1986年までに23試合を行いました。最後の公式戦となった86年6月15日のヤクルト対中日12回戦では、セ・リーグ通算25000号のメモリアルアーチが刻まれています。

 前日までのセ・リーグの本塁打は24995。到達まであと5本に迫っていました。この日、他球場の2試合は18時開始のナイターで、ヤクルト対中日戦のみ13時開始のデーゲーム。県営松本球場での5本目のホームランが記念の一打になる構図でした。

 1回表に中日の鈴木康友が先制本塁打を放つと、ヤクルトもその裏にレオンがバックスクリーンを直撃する特大の140メートル弾。その後3回裏に八重樫幸雄、4回裏には広沢克己とヤクルト勢が叩き込み、瞬く間に大台にリーチ。そして5回表。先頭で打席に入った中日の8番打者上川誠二がカウント1-1からの3球目を右中間スタンドに運び、セ・リーグ通算25000号が記録されました。

 幸運の一発を放った上川さんはプロ入り5年目、26歳でした。「覚えていますよ。ピッチャーは尾花(高夫)さんでしたよね。この日、ヤストモが2本(本塁打を)打ってません?」同い年で同僚の鈴木康友選手が生涯唯一となるゲーム2本塁打を記録した試合で、自らの一振りがメモリアルアーチになったこともあり、ちょっと申し訳なさそうに39年前を振り返りました。

「球場では(祝福の)花束もありませんでした。翌日の新聞で初めて25000号の本塁打だと知りました」と苦笑い。昨今のプロ野球ではリーグの節目の一打も球場で伝えられますが、当時はスルーされていたようです。「その後、記念の時計と盾をもらいました。盾に対戦投手が書いてあったのでピッチャーは尾花さんだと覚えています。時計は両親にプレゼントしましたね」。

 上川さんが12年間の現役生活で放った本塁打はポストシーズンを含めても52本。決して多くはありませんが、その中にはルーキーイヤーの1982年に西武との日本シリーズ第3戦で放ったプロ野球史上唯一の「新人選手の逆転本塁打」や、84年9月4日の巨人戦で記録した中日史上6度目の3者連続本塁打(モッカ宇野勝→上川)などインパクトある一打が含まれます。偶然に刻んだ節目の25000号を含め「何か持っているんですかね」と笑いました。

 「記念の本塁打が出るとスポーツ新聞に自分の名前も出るでしょ。嬉しいですよね」。2025年シーズン終了時のセ・リーグの通算本塁打は54427。節目の55000号にあと573本塁打で、早ければ来シーズンの終盤にも到達します。26歳の初夏、信州の青空の下で刻んだ一打を再び思い出すことでしょう。

 開場が明治神宮野球場と同じ1926年ということもあり、昭和の終盤になると老朽化が進みました。同時期に別の場所にあった市営球場は老朽化で廃止が決まったため、89年に長野県と松本市は所有権の交換を行い、県営球場が市の施設になりました。そこで市は球場を新装して91年にオープン。県営球場時代と同様、数年に一度プロ野球を開催するほか、地元の高校野球の大会などで利用されています。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・上川誠二さん
佐藤啓さん