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【球跡巡り・第4回】跡地に立つ中学校からノーヒッターが誕生! 中津市営球場

 景勝地の耶馬溪が観光地として賑わう大分県中津市。その市街地の中央にあるJR中津駅から徒歩10分ほどの場所に、中津市営球場がありました。

 1950年秋に開場。公式戦開催はわずか8試合(セ5、パ3)でしたが、1954年にはDeNAベイスターズの前身である大洋松竹が開幕戦を主催しています(4月3日、対阪神戦)。昨今の開幕戦は華やいだ雰囲気の中で行われ、スタンドも満員の観衆で埋まりますが、この日の観衆はわずか6000人。プロ野球は1952年にフランチャイズ制が確立しましたが、当初は球場問題もあり開幕戦の地方開催も珍しくありませんでした。

 中津市営球場での公式戦はこの試合が最後でしたが、オープン戦はその後も行われました。1970年3月には「稲尾監督就任記念」として、弱冠32歳で西鉄の監督に就任した地元大分県別府市出身の稲尾和久を招き西鉄対中日戦を開催。1970年代の半ばまで、阪神が3度春季オープン戦を行った記録も残っています。

 球場が閉鎖されると、立地の良さもあり、1983年8月に市立の豊陽中学校が移転して来ました。校庭の縁には、ライトからセンターにかけて右中間の膨らみが当時のまま残されていて、かつてここが野球場であったことを偲ばせます。

 開校から20年近く経った2000年春。桜の花が咲き誇る中、他の新入生より一回り立派な体格をした一人の生徒が校門をくぐりました。それもそのはず、父親は大相撲で幕内を7場所勤めた元関取。軟式野球部に入部し投手を任された少年は、父親直伝の四股を毎日踏んで下半身を強化したそうです。努力の甲斐あって、エースとなった3年生の時には大分県大会で優勝。創部初の九州大会出場に貢献しました。

 現在、巨人で活躍する山口俊投手です。山口はその後、進学した柳ヶ浦高校で1年と3年の夏に甲子園に出場。2005年のドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名されました。球場跡地が中学校となり、そのグラウンドで白球を追った選手が、かつてそこで開幕戦を行ったチームに入団する…。脚本家でも描けないようなストーリーが、ここにありました。

 その山口投手が7月27日の中日戦で、史上79人目、90度目のノーヒット・ノーランを演じたことは、記憶に新しいところです。大分県出身の投手としては1973年の高橋直樹(日拓)以来、45年ぶり2人目の快挙。それは同時に、球場跡地に立つ中学校からノーヒッターの誕生でもありました。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・中津市教育委員会
     中津市立豊陽中学校
写真提供・中津市教育委員会
     野球チケット博物館