【ファーム球場物語】~巨人、ヤクルト編~
1956年から5年間の休止を経て61年に再開したイースタン・リーグ。その初年度は14回総当たり(引き分け再試合制)で143試合を行いましたが、興行色が強く4割強の61試合は東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県以外で開催しました。各チームがメイン球場を定め、腰を据えて試合を行ったのは62年から。したがってこの年を起点に変遷をたどります。
巨人:スキージャンプ台跡地に造られたジャイアンツ球場
【巨人(1962~)】
当初の巨人若手育成の場は大田区の多摩川左岸にあった巨人多摩川グラウンドでした。1955年に完成した河川敷グラウンドは台風の影響で多摩川が氾濫し二度の水害にも見舞われましたが、85年まで公式戦を開催。その翌年から、神奈川県川崎市のよみうりランド内に建設されたジャイアンツ球場に拠点を移しました。
よみうりランドは1964年に開園した遊園地で、ジャイアンツ球場が造られた場所にはスキージャンプ台の「読売シャンツェ」がありました。競技団体に無料で貸し出され、72年の札幌冬季オリンピックでのスキージャンプ70メートル級での日本勢メダル独占の快挙にもつながった場所です。ジャンプ台の塔はその後も残され、若手選手たちの成長を見守りました。
球場は当初はスタンドもない簡素な造りでしたが、徐々に施設を整え約4000人収容のスタンドにナイター照明も設置されます。巨人はここを1986年から2024年まで約40年にわたり使用しました。そして25年からの公式戦はジャイアンツ球場から程近い場所に3月に完成したジャイアンツタウンスタジアムで行っています(ジャイアンツ球場でも3試合を開催)。全面人工芝でナイター照明を備えた球場が、巨人3代目の本拠地になりました。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1962~1985 | 巨人多摩川 |
| 1986~2024 | ジャイアンツ |
| 2025~ | ジャイアンツタウンスタジアム |
ヤクルト:西武の本拠地は国鉄二軍の本拠地だった
【国鉄(1962~1965途)、サンケイ(1965途~1968)、アトムズ(1969)、ヤクルト(1970~2005)、東京ヤクルト(2006~)】
1961年に横浜市港北区に合宿所を構えた国鉄。練習場は隣接する芝浦工業大の硬式野球場でしたが、最寄り駅の大倉山から遠い立地に水はけの悪さも重なり公式戦では使用できません。62、63年は川崎球場を主戦場とし、64年からは前年に埼玉県の狭山湖畔に完成した西武園球場を使用しました。現在のベルーナドームと同じ場所にあった球場で、スタンドもすり鉢状の地形を活かして作られていました。しかし、横浜の合宿所から球場までは電車で2時間近くかかり不便だったので2年間で撤退。66年からは杉並区和田の大和証券球場を間借りしました。
ここは社会人野球の大和証券野球部のかつての専用球場でしたが、部が解散していたこともあり会社は1967年春に学校法人への売却決定。前年に続きここを拠点と決めていたサンケイは、開幕直後に2試合を主催しただけで流浪生活を強いられました。結果、この年は6試合の主催権を他球団に譲り主催は18試合。そのうち7試合は巨人、東映、大洋の多摩川グラウンドを拝借。他は府中、横浜平和、茅ヶ崎などの球場をさまよいます。こうして67年のサンケイは二軍の球史で唯一、メイン球場を持たずに1シーズンを戦いました。
この間にサンケイのオーナー・水野成夫(しげお)は自前の球場建設を進め、京浜急行電鉄から借用した横須賀市内の丘陵地に1968年、武山球場を完成させました。合宿所も三浦市に移転し、ようやく安住の地を手にしたチームは76年までの9年間この地で若手選手の育成に注力。その成果は78年に球団(70年からヤクルト)初のセ・リーグ制覇、日本一となって実を結びました。
埼玉県戸田市に移ったのは1977年。荒川沿いの河川敷に前年完成した戸田球場を練習場と試合開催球場にしました。今年でちょうど50年になりますがイースタンの本拠地としては最長で、この間にリーグ最多の1837試合を行っています。
ただし、50年間ずっとメイン球場として公式戦が開催されたわけではありません。今ではネット裏や外野の一部に常設スタンドがありますが、当初は観客席がなく荒川の土手に腰かけての観戦スタイルでした。1980年代後半になると「イースタンもスタンドのある球場で公式戦を」の声が高まり、可能な限り近隣球場を拝借。90年は主催40試合のうち戸田はわずか5試合。大宮市営の17試合を筆頭に、浦和市営7試合、神宮6試合など河川敷球場での開催は減りました。
戸田と近隣球場を併用した1990年代を経て、2000年に入ると再び戸田に回帰しました。これは前述のように少ないながらもスタンドの設置が要因となりました。客席と選手との距離が近いこともあり、近年はチケットが完売の試合も多いようです。
大洋多摩川、巨人多摩川、日本ハム多摩川。イースタンの代名詞だった河川敷球場にはすでに別れを告げ、唯一の使用球場である戸田での試合も今シーズン限りです。プロ野球における“球場遺産”を目に焼き付けてほしいと思います。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1962~1963 | 川崎 |
| 1964~1965 | 西武園 |
| 1966 | 大和証券 |
| 1967 | メインの球場なし |
| 1968~1976 | 武山 |
| 1977~1988 | 戸田 |
| 1989 | 戸田・大宮市営 |
| 1990 | 大宮市営・浦和市営 |
| 1991~2001 | 戸田・浦和市営 |
| 2002~ | 戸田 |
球場名の変遷・浦和市営=さいたま市営浦和(2001~)
【NPB公式記録員 山本勉】
| 参考文献・ | 「二軍史 もう一つのプロ野球」松井正(啓文社書房) 「わがまち港北3」平井誠二/林宏美(『わがまち港北』出版グループ) |
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