【ファーム球場物語】~ロッテ、西武、オイシックス編~
ロッテ:菓子製造工場の敷地の一角に造られたロッテ浦和球場
【大毎(1962~1963)、東京(1964~1968)、ロッテ(1969~1991)、千葉ロッテ(1992~)】
1962~1972年までは大毎オーナーの永田雅一が私財を投じて造った東京球場を使用。腰を据えた戦いをしていましたが、球場が閉鎖された1973年以降は転々とします。
1973~1977年までの5年間は埼玉県内の東京証券グラウンド、川口市営球場を拠点にしましたが、優先使用権は与えられず大洋や巨人、日本ハムの多摩川グラウンドも借りて主催試合を行いました。その後は大洋一軍の横浜球場移転で空き家となった川崎球場と、大洋二軍が使用していた大洋多摩川(のちに等々力第二と名称変更)をそれぞれ2年間間借りして、しのぎました。
少し落ち着きを見せたのは1982年から。ロッテ球団代表、西垣徳雄の尽力で青梅市の音響機器メーカーが所有の青梅球場を借用しました。社員の福利厚生施設で優先的には使えませんでしたが、それでも1988年までの7年間で主催280試合のうち8割以上の227試合を開催。1973年からの目まぐるしい9年間を思えば天国の日々でした。
球団初の二軍専用施設の建設は1989年。埼玉県浦和市のJR武蔵浦和駅近くにあるロッテ浦和工場の敷地を整備し、合宿所と両翼96メートル、中堅122メートルのサイズでロッテ浦和球場を造りました。91年までは川崎球場、92年以降は千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)の一軍本拠地でも年間数試合公式戦を行いましたが、ほとんどの二軍戦はここで開催。ロッテ浦和球場に根を下ろした37年間での試合数1545は、戸田球場(1837試合)に次ぎリーグ2位です。
ただし、グラウンドは1つしかなく、試合を行っていると球場での練習ができません。スタンドも小さく収容はわずか300人ほどです。新たな施設を造る余地もないことから球団は移転を決断。順調に行けば2030年1月から千葉県君津市で新たなスタートを切ります。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1962~1972 | 東京スタヂアム |
| 1973~1974 | 東京証券 |
| 1975~1977 | 川口市営 |
| 1978~1979 | 川崎 |
| 1980~1981 | 等々力第二 |
| 1982~1988 | 青梅ティアック |
| 1989 | ロッテ浦和 |
| 1990~1991 | ロッテ浦和・川崎 |
| 1992~1995 | ロッテ浦和 |
| 1996~1999 | ロッテ浦和・浦和市営 |
| 2000~2006 | ロッテ浦和 |
| 2007~2008 | ロッテ浦和・千葉マリンスタジアム |
| 2009~ | ロッテ浦和 |
西武:45年間、一軍と二軍の本拠地球場が併設されている獅子軍団
【西武(1979~2004)、インボイス(2005~2006)、グッドウィル(2007)、埼玉西武(2008~)】
西武球団誕生と同時に二軍も福岡から所沢へ移りイースタンに加盟。西武拝島線、玉川上水駅近くの、かつて西武建設の寮だった物件を合宿所としてスタートを切ります。1年目の1979年は主催35試合のうち28試合を西武球場で挙行。合宿所近くに完成した玉川上水球場でも4試合を行いました。2年目はここをメイン球場にして20試合を開催しました。
今の本拠地であるCAR3219フィールド(カーミニーク=当時は西武第二)に拠点を構えたのは1981年でした。この球場は社会人野球プリンスホテルの練習場でしたが、玉川上水球場と両者が入れ替わる形で移動。レフト後方にあったプリンスホテル野球部のクラブハウスを増築し、寮(若獅子寮)も造りました。今年で46年目を迎えます。
二軍の本拠地は西武球場と同じ敷地内にあり、互いの移動に徒歩で10分もかかりません。この環境は希少で現12球団では西武だけ。さかのぼっても、一、二軍が同一球場を除けば、阪急が1978年に西宮球場のそばに西宮第二球場を併設して両球場を1990年まで使用した例があるのみです。
練習は主に西武第二球場で行いますが、公式戦では西武球場(1998年から西武ドーム)も使用してきました。1981年から2003年までの23年間の試合数は西武第二球場550、西武球場(西武ドーム含む)364。ほぼ4割は一軍球場での開催でした。また、2004年には主催48試合のうち西武第二球場はわずか4試合で、西武ドーム21、上尾市民9、飯能市民8と、スタンドのある球場での開催にこだわったこともありました。
球場は開場当初より観客席がなく、スコアボードも得点掲示板のみと簡素でした。球団が重い腰を上げたのは2010年代後半。2018年の球団創設40周年記念事業の一環として、2019年以降に若獅子寮の新築やバックネット裏スタンドの新設を行いました。2020年からは球場の施設命名権契約により前述の「CAR3219フィールド」へ改称します。まもなくこの地で半世紀を迎えますが、これからも変わらず若獅子育成の拠点となります。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 1979 | 西武 |
| 1980 | 玉川上水・西武 |
| 1981~2003 | 西武第二・西武 |
| 2004 | 西武ドーム、上尾市民、飯能市民 |
| 2005~2008 | 西武第二・西武ドーム |
| 2009~2020 | 西武第二 |
| 2021~ | 西武第二・西武ドーム |
球場名の変遷
・西武=西武ドーム(1998~)
・西武ドーム=インボイスSEIBUドーム(2005~2006)、グッドウィルドーム(2007)、西武プリンスドーム(2015~2016)、メットライフドーム(2017~2021)、ベルーナドーム(2022~)
・西武第二=CAR3219フィールド(2020~)
オイシックス:地元で熱い戦いを見せるイースタン19年ぶりの新規参加球団
【オイシックス新潟(2024~)】
2024年シーズンから、イースタンでは2005年の楽天以来19年ぶりに新規参加のオイシックス。新潟市のHARD・OFF ECOスタジアム新潟をメインに、長岡悠久山球場や新潟みどり森球場などで試合を行っています。参入1年目の2024年は勝率.342、借金38と厳しい戦いを強いられましたが、新潟県内での成績に限れば33勝28敗3分の勝率.541と勝ち越し。地元ファンの熱い声援に応える戦いを見せました。
公式戦開催球場の変遷
| 年度 | 球場 |
|---|---|
| 2024~ | 新潟県立鳥屋野潟公園 |
球場名の変遷
・新潟県立鳥屋野潟公園=HARD・OFF ECOスタジアム新潟(2024~)
【NPB公式記録員 山本勉】
| 参考文献・ | 「二軍史 もう一つのプロ野球」松井正(啓文社書房) |
|---|---|
| 調査協力・ | 島田正博さん |

