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【球跡巡り・第16回】伝統の一戦 巨人対阪神 ここに始まる 山本球場

 春はセンバツから―。平成最後の開催となる第91回選抜高校野球大会が23日から始まります。その第1回大会が行われたのは元号がまだ大正だった1924年。会場は甲子園球場ではなく、愛知県名古屋市の郊外にあった山本球場でした。

 名古屋市営地下鉄鶴舞線のいりなか駅で下車。住宅地のゆるやかな坂道を上ること10分。集合住宅の敷地の一角に作られた「センバツ発祥の地」と刻まれたモニュメントが出迎えてくれました。この地で「第1回全国選抜中等学校野球大会」が開催されたことを記念し、日本高等学校野球連盟と毎日新聞社により石碑が設けられています。

 球場の建設主はスポーツ用品問屋や不動産業などを展開していた山本権十郎氏。校区の白川尋常小学校(現名古屋市立栄小学校)の役員を務めていた関係で、自らの所有地を造成し林間学校の運動場として提供していました。その場所に知人の勧めもあり野球場を完成させたのは1922年10月。1858年(安政5年)生まれの権十郎氏、この時64歳。自らの名字を取って「山本球場」と名付けました。この頃、全国に20近くの野球場がありましたが、民間の一経営者による球場建設はこれが初めてでした。

 グラウンドは赤土。外野フェンスはトタンで作られていましたが、収容人数2000人のコンクリート製内野スタンドを完備し、当時としてはかなり立派な球場でした。名古屋新聞(現中日新聞)には「当地の野球レベルも一段と向上を見るであろう」とあり、愛知県下で初となる野球場の誕生は、地元の大きな期待を受けていたことが伺えます。

 プロ野球の開催は職業野球として産声を上げた直後の1936年7月でした。東京、大阪、名古屋の3都市で、トーナメント形式による「連盟結成記念 全日本野球選手権試合」が行われました。その名古屋大会が山本球場で開かれ、7月15日から5日間で9試合を挙行。勝ち上がった阪急と大阪タイガース(現阪神)の間で決勝戦を行い、大阪タイガースが11対7で阪急を下し、名古屋大会を制しています。(この後、3大会の覇者による王座決定戦を行う予定でしたが、球場難で未開催。初の日本選手権は預かりとなりました)

 この大会の初日、7月15日の第2試合は巨人対大阪タイガース戦でした(試合は8対7で大阪タイガースが勝利)。公式戦はこの年の4月29日にスタートしましたが、巨人は第2次米国遠征に出かけており不在。6月5日に帰国して、この大会から参戦しました。したがって、巨人と大阪タイガースが公式戦で対戦するのはこれが初めて。その後、両チームのスター選手による数々の名勝負から、いつしか「伝統の一戦」と形容されることになる巨人対阪神戦は、ここ山本球場から球史を刻んでいるのです。

 事業で成功を収めた権十郎氏は様々な慈善事業に力を入れました。山本球場の建設もその一環で、校庭や広場で野球にいそしむ若人たちへの思いからだったのでしょう。玄孫(やしゃご)に当たる山本宗平さん(47)は「スポーツをビジネスにしていましたが、『ゼンショー』という自社ブランドを立ち上げたのは野球だけでした。それだけ野球には愛情があったのでしょう。経営していた運動具店では野球チームも作っていたようです」と思いを募らせます。運動具店の軒先には手書きのスコアボードを作り、東京六大学野球などの結果を掲示。市民の間に野球を知らしめようと努めました。(写真参照)

 センバツ発祥の地にして、伝統の一戦・巨人対阪神の栄えある初戦が行われた野球場。しかし、戦時中は食糧事情からグラウンドが芋畑にされるなど、悲しい歴史も刻まれました。戦後は1946年11月に名古屋鉄道管理局に無償貸与(後に売却)し、国鉄八事球場に名称を変更。名鉄局、国鉄名古屋を経て、1987年からJR東海とチーム名を変えた硬式野球部のグラウンドとして長く使われました。しかし、1990年に国鉄清算事業団により、住宅都市整備公団と名古屋市住宅供給公社への土地売却が決定し、閉鎖。跡地には前述の集合住宅が建てられました。

 権十郎氏はプロ野球が発足して4年目、選抜高校野球大会が16回を数えた1939年に81歳で逝去されました。今年で没後80年。今日の日本における野球の隆盛を喜んでいることでしょう。伝統の一戦は今年、1944回目の対戦を迎えます。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・山本宗平さん
由里武彦さん
参考文献・名古屋新聞(1922年10月10日、17日)
写真提供・山本宗平さん
野球チケット博物館