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【球跡巡り・第20回】京都にプロ野球チームがあった? 立命館衣笠球場

 JR京都駅前を発車したバスの乗客の多くは、観光目的と思われる外国人でした。碁盤の目のように整った道を北進すること40分。ユネスコの世界遺産にも登録されている鹿苑寺(通称金閣寺)の最寄りの停留所で、観光客と一緒に下車。そこから15分ほど歩いた衣笠山の麓に、立命館大学の衣笠キャンパスがありました。

 正門から100メートル。学生たちが行き交うキャンパスの一角で、立命館史資料センター調査研究員の久保田謙次さんが足を止めました。「ホームベースがこの辺り。マウンドがあったのは建物があるところですね。金星時代のスタルヒンも投げているんですよ。」かつてここが「立命館衣笠球場」(以下、衣笠球場)であったことを説明してくださいました。(写真参照)

 球場の開設は立命館が新制大学となった1948年の9月。大学が文部省に提出した事業報告書の中で、「市民や体育団体の施設としても活用したい」と一般開放に言及していたため、戦後の資材難の中、優先的配給により20段の木造スタンドほか、選手控室やシャワー室を完備した立派な球場が建設されました。収容人員は1万3000人。当時球場不足に頭を抱えていたプロ野球界にとって、申し分のない施設でした。

 明けて1949年。兵庫県に居を構えていた大陽ロビンスが衣笠球場への進出を図ります。地元紙の京都新聞もこれを歓迎し、試合の興行権を獲得。2月21日付紙面では、1面に「京都ロビンス誕生」の特集記事を組むほどの熱の入れようでした。ロビンスはこの年、4月2日の阪急戦を皮切りに41試合を衣笠球場で開催します。その戦績は16勝25敗と奮いませんでしたが、10月2日の大映戦では0対10の劣勢から11対10と逆転し、ミラクル勝利。今もプロ野球記録として残る、最大得点差からの逆転勝ちでファンを沸かせました。

 当時小学生だった小泉博さん(78)はロビンスのファンで、よく応援に駆けつけました。「試合の日は大変な人の混みようでしたよ。市電の、わら天神から球場までの道は舗装されていなくて、すごい土埃でした」。1試合の平均入場者は約5000人。“大家”である立命館大学野球部が当時所属していた、関西六大学野球にも負けない人気を得たようにも見えました。

 翌年、プロ野球は二リーグに分立。大陽ロビンスは松竹との資本提携を経て、「松竹ロビンス」と改名しセ・リーグに加盟します。すると、ロビンスと京都との関係は曖昧なものになります。新監督の小西得郎は京都市内に自宅を構え、合宿所を下鴨に設けますが、肝心の衣笠球場での試合開催は4試合と激減。皮肉なことにロビンスはこの年、7割を超す高勝率でセ・リーグの初代優勝球団に輝きます。しかし、京都新聞は優勝翌日の紙面でさえ「松竹の優勝確定」という小さな見出しに、200字ほどの記事と小西監督の胴上げ写真を小さく掲載しただけ。パ・リーグの覇者・毎日との第1回日本シリーズが、衣笠球場で開催されることはありませんでした。

 1951年の開催は1試合のみ。そして1952年には所有者である立命館大学が防災上の理由により、学外の使用を禁止しました。これは1951年8月19日、中日球場(現ナゴヤ球場)において木造のスタンドが全焼し、死傷者を出す惨事が発生。球場の防火対策が強く求められたのです。プロ野球の現在に通じるフランチャイズ制の創設は1952年。当時の資料には「松竹=京都衣笠」と記されたものもありますが、実態とはかい離した形式的な取り決めだったようです。こうして、大学の敷地内にあった野球場にプロ野球の球音が響いたのはわずか4年間、66試合でした。

 衣笠球場は1967年に閉鎖。1969年にはバックネット裏スタンド付近に体育館が竣工され(現在は図書館)、跡地には学舎が順次建設されていきました。キャンパス内に球場の面影をたどれるものはありませんでしたが、帰り際に久保田さんの案内で正門の一筋東の小道へ。道端に立つ電柱に張り付けられた、かまぼこ板ほどのプレートには「衣笠球場」と記されていました。球場の存在を示す“証言者”に、70年前の情景を思い浮かべました。

【NPB公式記録員 山本勉】

調査協力・立命館 史資料センターオフィス
参考文献・「地方紙と業界紙から探る戦後京都のプロ野球興行」 京都府立総合資料館紀要 第44号 抜刷
写真提供・立命館 史資料センターオフィス