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【球跡巡り・第26回】阪急が産声を上げた温泉地の野球場 宝塚球場

 「歌劇と温泉のまち」として知られる兵庫県宝塚市。阪急宝塚線の終点宝塚駅で下車し、宝塚大劇場を通り過ぎ歩くこと15分。2008年4月に開校した関西学院初等部の校庭には、子供たちの元気な声がこだましていました。かつてこの地には、大阪阪急野球協会(阪急)が産声を上げた宝塚球場がありました。

 開場はプロ野球が幕を開ける1936年からさかのぼること14年。1922年6月でした。阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)は宝塚線を全線開業後、宝塚市を観光地にしようと宝塚新温泉を設け、そこにパラダイス、少女歌劇団(現宝塚歌劇団)、遊園地、動植物園などを建設。その隣接地にテニスコート、陸上競技場なども併設したスポーツセンターとして野球場をオープンさせたのです。内野席にはコンクリート階段のスタンドが設置されていましたが、外野にフェンスはなく、高さ50センチほどの柵が設けられただけの質素な造りでした。

 1936年1月に日本職業野球連盟に加盟登録した阪急は、ここを活動の拠点とします。球団結成披露としての初試合を3月20日に金鯱軍相手に行いました。残念ながら1対7で敗れ、初試合を勝利で飾ることはできませんでしたが、続く第2戦は北井正雄投手の好投で4対2と雪辱。のちに阪急ブレーブスとして、パ・リーグ初の4連覇を成し遂げる勇者の歴史はここに始まったのです。

 プロ野球史上初の柵越え本塁打は宝塚球場で刻まれました。1936年5月22日の阪急対大東京戦の初回、阪急の四番・山下実外野手が桜井七之助投手から流し打ちした打球は左翼フェンス越えの二点本塁打。そこまでの21試合で本塁打は2本出ていましたが、どちらもランニング本塁打。山下の一発はプロ野球延べ1748打席目に飛び出した待望の一打でした。高校時代は春夏の甲子園大会で3本塁打を放ち、慶應大に進んだ東京六大学でも6本塁打。「和製ベーブ・ルース」と呼ばれ阪急の草創期に活躍した強打のスラッガーは、この一打も評価され1987年に野球殿堂入りを果たしました。

 この年の終盤、10月24日のタイガース対大東京戦では、タイガースが13盗塁、大東京が5盗塁を決め、両チーム計18盗塁の1試合最多盗塁記録が作られました。もちろんこの記録は今でも破られておらず、これに続くのが12盗塁(計5回)とそれに迫る記録さえ生まれていません。この試合、タイガースは大東京の捕手筒井良武相手に3回までに4盗塁を決めます。これはまずいと思ったのか、大東京は4回から兼任監督を務める伊藤勝三が自らマスクをかぶりました。伊藤は当時としては高齢の28歳で入団し、新聞では「既に肩はボロボロ。監督に専念すべき」と選手として能力は疑問視されていました。タイガースはそれを見抜いたかのように伊藤からも容赦なく9盗塁を決め、計13盗塁。こちらもチームの1試合最多盗塁記録として今も残ります。

 記念すべきプロ野球初の柵越え本塁打に、両チーム計18盗塁という怪記録も生まれた宝塚球場でしたが、プロ野球開催は1936年だけでわずか13試合でした。阪急が1937年に西宮北口に西宮球場をオープンさせたこともあり、その座を明け渡したのです。1938年には球場を取り壊し、宝塚映画製作所の撮影所となりました。戦後は「宝塚ファミリーランド」として整備され、長い期間遊園地になっていたので関西の人には懐かしいことでしょう。

 ファミリーランド廃止後は更地として売却され、冒頭の小学校が開校しました。その隣には時代を反映したかのように、高層のタワーマンションがそびえています。

【NPB公式記録員 山本勉】

写真提供・野球殿堂博物館