弾丸ライナーの川上、高く美しい放物線の大下、二人のホームランは対照的だったが、戦争で疲弊した日本人には焼け跡に架ける虹のように思えた。昭和22年、二人は激しくタイトル争いを繰り広げる。
金田に4三振を喫した開幕戦。それ以後打ちまくりホームラン、打点の二冠。そして日本シリーズの西鉄との死闘。後のミスタージャイアンツは、稀有の肉体を持ったアスリートだった。長島デビューの一年。
前年最下位だった大洋ホエールズを初優勝させた三原魔術。大日本東京野球倶楽部の契約1号以来、常に組織から追われ続けた勝負師・三原の執念の采配だった。[勝つための人心掌握術] 真骨頂。
7月1日の大洋戦。バッターボックスの王は、突然右足を高く上げる。それまで9本しか打っていなかったホームランを、それ以後29本打ち初のホームラン王に輝く。《求道者》王の打法完成への苦闘の道。
昭和41年は、ドラフト元年。優秀で野武士のような新人が集まった。巨人の堀内は新人開幕13連勝。帽子を飛ばしながらの力投の一方、門限破りの常習犯で「悪太郎」と言われた。若き猛者たちの物語。
江夏は、記録となる三振を王から奪うことに拘った。この年阪神巨人戦は異様な盛り上がりを見せ、夏の4連戦は文字通り熱い闘いを繰り広げた。その中で三振記録を作る19歳の若者の快《投》乱麻。
この年、金田は400勝を花道に華々しく引退。稲尾はシーズン当初引退など考えもしなかったが、「黒い霧事件」の余波でいつの間にか引退させられていた。二人の大投手最後のシーズン。
V9戦士の老齢化は否めず、中日とのデッドヒートの末10月11日2試合を残して巨人の時代が終わった。その時、マウンドに仁王立ちしていたのはセーブ王星野仙一だった。燃えよドラゴンズ。
優勝したことのない市民球団広島は、この年ルーツを監督に招いた。外国人監督は、赤いヘルメットで日本人を驚かす。ルーツはシーズン初めに退団するが、遺産を受け継いだ古葉カープが快進撃。
一兵卒にまでなって現役にこだわった野村。彼の眼は、長嶋や稲尾をはじめ日本プロ野球の様々な名選手たちを分析し続けた。生涯一捕手野村ノートが語るプロ野球の妙味と凄み、そして最後の一年。
圧倒的なバッテイング技術で三冠王になった二人のスラッガー。しかし、落合のタイトルは優勝とは無縁。54本塁打したバースは、ガイジン選手故にタイ記録にも挑戦できなかった。栄冠と寂寥感の猛打。
大リーグ、そして五輪。世界を目指す選手たちが増える中、新たな伝説が始まる・・・・。