生年月日 | 1904年12月16日 |
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経歴 | 荏原中 - 明治大 - 大阪毎日野球団 - 東京倶楽部 |
プロ野球球歴 | 東京セネタース36~37途(兼監)、セネタース46(監) |
在籍期間 | 1937~43、1948~49、50~60(パ) |
在籍年数 | 20年 |
出場試合数 | 2280試合 |
初出場 | 1937年9月22日 イーグルス-金鯱 秋1回戦 (後楽園) 一塁 |
最終出場 | 1960年5月29日 阪急-大毎 6回戦 (西宮) 二塁 |
日本シリーズ出場 | 10回 |
オールスター出場 | 9回 |
メモ | 東京六大学野球の審判員を務めながら、東京倶楽部でもプレー。都市対抗野球で4度の優勝を果たす。1936年、東京セネタースの初代監督に就任。2年で退任し審判員に転身していたが、戦後のプロ野球復活時に新設のセネタース(現日本ハム)で指揮を執った。48年に審判員に復帰し、二リーグ分立後はパ・リーグに所属し51年から60年5月まで審判部長を務めた。88年、特別表彰で野球殿堂入り。 |