生年月日 | 1908年3月16日 |
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経歴 | 大連商 - 法政大 - 国際運輸 - 大連実業 |
プロ野球球歴 | - |
在籍期間 | 1947~49、50~67(セ) |
在籍年数 | 21年 |
出場試合数 | 2373試合 |
初出場 | 1947年7月24日 南海-阪神 7回戦 (後楽園) 三塁 |
最終出場 | 1967年9月20日 中日-巨人 22回戦 (中日) 一塁 |
日本シリーズ出場 | 8回 |
オールスター出場 | 5回 |
メモ | 大連商(満州)のエースとして3年連続夏の甲子園に出場し、1924年の12回大会で準優勝。法政大では若林忠志、苅田久徳らと活躍した。47年から審判員になり、61年巨人対南海の日本シリーズでは南海スタンカの投球判定を巡り物議をかもし「円城寺 あれがボールか 秋の空」の句が巷に広まった。67年9月20日の中日対巨人戦(中日)で判定の変更から1時間9分の中断となり、この際に「辞める」と発言。この年で退任した。 |