| 生年月日 | 1904年11月20日 |
|---|---|
| 経歴 | 京都二中 - 明治大 - 全大阪 |
| プロ野球球歴 | 大陽48(監) |
| 在籍期間 | 1949、50~60(パ) |
| 在籍年数 | 12年 |
| 出場試合数 | 1400試合 |
| 初出場 | 1949年7月2日 阪急-東急 6回戦 (西宮) 三塁 |
| 最終出場 | 1960年9月29日 阪急-大毎 28回戦 (西宮) 左翼 |
| 日本シリーズ出場 | 1回 |
| オールスター出場 | 1回 |
| メモ | 全大阪の右翼手で1934年の都市対抗野球優勝。その後、浪華商(大阪)監督として37年のセンバツで優勝、海草中(和歌山)監督時代には39、40年と夏の甲子園で2連覇を果たした。その手腕を買われ、48年には大陽の監督を務めたが8チーム中6位と奮わなかった。翌49年から審判員となり、50年から11シーズンはパ・リーグでジャッジ。54年の中日対西鉄の日本シリーズに出場した。退任後はスポーツ紙で評論家を務めた。 |