生年月日 | 1907年 |
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経歴 | 長崎商 - 早稲田大 - 大連満倶 |
プロ野球球歴 | - |
在籍期間 | 1936~44 |
在籍年数 | 9年 |
出場試合数 | 1226試合 |
初出場 | 1936年4月29日 大東京-名古屋 (甲子園) 三塁 |
最終出場 | 1944年8月30日 朝日-阪急 7回戦 (甲子園) 球審 |
日本シリーズ出場 | - |
オールスター出場 | - |
メモ | 長崎商では捕手として活躍。早稲田大卒業後は大連満倶でプレーした。現役引退後、母校長崎商の監督を務め1933年の第10回センバツ大会に出場。甲子園大会の審判員も務めていたことから職業野球に転身。ストライクは宣告した右手の指先をながめる独特のジェスチャーで、趣味の詩吟で鍛えた美声がグラウンドに響いたという。 |