| 生年月日 | 1897年 |
|---|---|
| 経歴 | 同志社中 - 慶応大 - 大阪毎日野球団 - 東京倶楽部 |
| プロ野球球歴 | 南海38秋~40(監) |
| 在籍期間 | 1941~43 |
| 在籍年数 | 3年 |
| 出場試合数 | 341試合 |
| 初出場 | 1941年9月27日 阪神-大洋 9回戦 (甲子園) 三塁 |
| 最終出場 | 1943年11月7日 巨人-阪神 12回戦 (後楽園) 一塁 |
| 日本シリーズ出場 | - |
| オールスター出場 | - |
| メモ | 慶応大、大阪毎日新聞(大毎野球団)時代は俊足の切り込み隊長として活躍。1938年に大毎が解散していたこともあり、南海の初代監督に招へいされた。リーグ初参戦の38年秋は勝率2割台と苦しんだが、翌39年は勝率.444で9チーム中5位と健闘した。40年で監督を退き、41年から審判員に。戦中の3年間務め341試合に出場した。 |