生年月日 | 1918年2月17日 |
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経歴 | 京都二中 - 立命館大 - 全京城 - 豊岡物産 - 京都大丸 - 日本専売公社 |
プロ野球球歴 | - |
在籍期間 | 1954~66(パ) |
在籍年数 | 13年 |
出場試合数 | 1418試合 |
初出場 | 1954年3月27日 南海-毎日 1回戦 (大阪) 一塁 |
最終出場 | 1966年10月19日 巨人-南海 日本シリーズ6回戦 (後楽園) 二塁 |
日本シリーズ出場 | 6回 |
オールスター出場 | 4回 |
メモ | 京都二中時代は紅顔の美少年で、投手として活躍。立命館大を経て朝鮮に渡り、全京城でプレーし、1940年の第14回都市対抗野球で優勝した。戦後は豊岡物産(埼玉)でプレーした後、日本専売公社で監督。66年、西鉄の田中勉が南海相手にパ・リーグ3人目の完全試合を達成した試合では球審を務めた。13年間の審判員生活で日本シリーズに6回出場。退任後は「プロ野球の泣きぼくろ」と題し、審判秘話を上梓した。 |