生年月日 | 1910年1月19日 |
---|---|
経歴 | 本牧中 - 法政大 - 東京倶楽部 |
プロ野球球歴 | 東京セネタース・翼36~40、大洋41~42途(37秋~41兼監)、大和42途~43(42途~43途兼監)、東急・急映47~48(47~48途兼監)、毎日50途、近鉄50途~52、毎日57(コ)・大毎58(コ) |
在籍期間 | 1952~56(パ) |
在籍年数 | 5年 |
出場試合数 | 547試合 |
初出場 | 1952年7月26日 東急-大映 15回戦 (県営水戸) 二塁 |
最終出場 | 1956年10月17日 巨人-西鉄 日本シリーズ6回戦 (後楽園) 左翼 |
日本シリーズ出場 | 4回 |
オールスター出場 | 2回 |
メモ | 「苅田の前に苅田なく、苅田の後に苅田なし」と言われた守備の名手。1936年東京セネタースに入団し、秋の盗塁王。38年春はMVPを獲得した。37年秋の東京セネタースを初めとし、一リーグ時代に4球団で監督を務めた。52年にパ・リーグ審判員となり、在任は5シーズンと短かったが、その間に4回日本シリーズに出場。審判員としても非凡な才能を見せた。69年、競技者表彰で野球殿堂入りを果たす。 |