生年月日 | 1908年3月8日 |
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経歴 | 同志社中 - 明治大 - 安田火災保険 - 東京倶楽部 |
プロ野球球歴 | 名古屋36~43(37、43は兼監、41~42兼助監)・産業44(監) |
在籍期間 | 1946 |
在籍年数 | 1年 |
出場試合数 | 181試合 |
初出場 | 1946年5月3日 パシフィック-セネタース 1回戦 (後楽園) 三塁 |
最終出場 | 1946年11月5日 セネタース-巨人 15回戦 (後楽園) 一塁 |
日本シリーズ出場 | - |
オールスター出場 | - |
メモ | 明治大では1931年の日米野球に出場。安田火災保険を経て、36年名古屋軍に入団。1年目は主将、翌年は兼任監督とチームの草創期を支えた。その後は選手に専任し、43年に再度兼任監督。開幕5連勝で波に乗り、巨人と優勝争いを演じチームを初の2位に導いた。プロ野球が再開した46年5月に審判員となり、その年に181試合に出場したが1年限りで退任。社会人野球に転じ、日本鋼管の監督を務めた。 |