生年月日 | 1902年5月1日 |
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経歴 | 市岡中 - 関西大 - 宇治川電気 |
プロ野球球歴 | - |
在籍期間 | 1936~49、50~59(セ) |
在籍年数 | 23年 |
出場試合数 | 3215試合 |
初出場 | 1936年4月29日 大東京-名古屋 (甲子園) 球審 |
最終出場 | 1959年10月22日 阪神-中日 26回戦 (甲子園) 一塁 |
日本シリーズ出場 | 1回 |
オールスター出場 | 1回 |
メモ | 1919年、市岡中(大阪)の遊撃手として第5回の選手権大会(鳴尾)に出場。卒業後は宇治川電気(現山陽電鉄)に勤務しながら全神戸でプレー。32年の都市対抗野球で二塁手として優勝を果たす。翌年は母校関西大野球部の監督を務めた。日本職業野球連盟初年度の36年から審判員を務め、1試合も欠場せず58年に史上初の3000試合出場を達成。20年目の56年に54歳で日本シリーズ初出場を果たした。 |