生年月日 | 1923年1月8日 |
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経歴 | 嘉義農林 |
プロ野球球歴 | 大和43、巨人44、46~53 |
在籍期間 | 1955~80(パ) |
在籍年数 | 26年 |
出場試合数 | 2311試合 |
初出場 | 1955年10月13日 東映-毎日 20回戦 (駒沢) 三塁 |
最終出場 | 1980年10月5日 日本ハム-阪急 後13回戦 (後楽園) 二塁 |
日本シリーズ出場 | - |
オールスター出場 | 1回 |
メモ | 嘉義農林(台湾)では、映画「KANO」の主人公になった近藤兵太郎監督に鍛えられた。1943年に呉新亨の登録名で大和に入団。翌年巨人に移籍するとリーグ4位の打率.326、19盗塁で盗塁王に輝く。結婚を機に49年から萩原寛と改名。巨人の外野の一角を奪い、2年連続規定打席をクリアした。55年からパ・リーグ審判員となり26年間務めた。20歳から57歳まで、54年を除き日本プロ野球に携わった。 |