生年月日 | 1908年3月30日 |
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経歴 | 関西中 - 明治大 - 門司鉄道局 |
プロ野球球歴 | 阪急40~42(40途~42兼監)、47~48(兼助監)、東急49(兼監)、東急50(コ)、52、53(監)・東映54(監)、阪急55、56(コ) |
在籍期間 | 1951(パ)、1957~66(パ) |
在籍年数 | 11年 |
出場試合数 | 765試合 |
初出場 | 1951年4月5日 大映-阪急 1回戦 (後楽園) 球審 |
最終出場 | 1966年10月9日 東映-西鉄 27回戦 (後楽園) 三塁 |
日本シリーズ出場 | 2回 |
オールスター出場 | 2回 |
メモ | 門司鉄道局(福岡)の捕手として出場した1936年の第10回都市対抗野球で優勝。力強い打撃と好リードが評価され、この大会から新設された「橋戸賞」を受賞した。40年に阪急入団。戦中は阪急、戦後は東急、東映で計7シーズン監督も務めた。審判員としてはパ・リーグに11年在籍し、日本シリーズ、オールスターゲームにそれぞれ2回出場した。 |