| 生年月日 | 1927年8月22日 |
|---|---|
| 経歴 | 同志社中 - 同志社大 - 京都クラブ |
| プロ野球球歴 | - |
| 在籍期間 | 1959~91(セ) |
| 在籍年数 | 33年 |
| 出場試合数 | 3026試合 |
| 初出場 | 1959年7月22日 中日-大洋 14回戦 (中日) 左翼 |
| 最終出場 | 1986年10月4日 阪神-巨人 26回戦 (甲子園) 三塁 |
| 日本シリーズ出場 | 11回 |
| オールスター出場 | 6回 |
| メモ | 同志社大学では内野手として活躍。1950年秋のリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手賞を受賞。京都クラブの二塁手として52年の都市対抗野球にも出場した。高校野球甲子園大会の審判員をしていた時に「審判こそ我が天職」と貿易商社を退社し、59年セ・リーグ入局。86年まで現役を務め3026試合に出場し、日本シリーズにも11回選ばれた。87年から96年までは指導員、審判倫理・技術委員として後進の育成にあたった。2024年、特別表彰により野球殿堂入り。プロ野球審判経験者の殿堂入りは8人目。 |